どんな父の日でしたか?

私の父は39年前に亡くなったが、父の日と誕生日、亡くなった日は思い出す。とても遠い人になってしまった。

父はどこかへ連れて行ってくれたり、遊んでくれる人ではなかったけれど、子供の為に果樹を育てたいと考えたようで、狭い庭に「グミの木」「ポポーの木」「枇杷の木」「桃の木」が植えられていた。
グミは赤い実が枝をしならせながら、沢山垂れ下がっていた。甘くて美味しかった。低木なので小さい私でも自由に取って食べられた。
ポポーはマンゴー🥭の様な形で、果肉は黄色で、ねっとり甘かったような気がする。
ただ桃🍑だけは、食べようとすると種から虫がにょろりする事があってギョッとした。

果物好きな私の孫達が見たら喜んで食べまくっただろうな。
戦争、原爆の時代を生きながら何も語らなかった。
父は長崎の原爆投下から2.3年後に最初の配偶者を病気で亡くした。
歌詞がその気持ちに添ったものだったのか「長崎の鐘🔔」の歌詞を原稿用紙に書き写していた。

父が亡くなった年齢70歳はもうすぐ、目の前まで近づいてきた。時の流れは止まる事なく、ゆるやかそうだけど早い。

父よ、私達子供に何を伝えたかったの?

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