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小説 「それなりの愛に酔っている」①

11月21日 都内マンション

「この遺書が懺悔になるのなら、すべてをここで告白したい。人生に翳りがあるのなら、それはきっと桐川こころと出会ってしまったことだ。そうじゃなければ、私の生に意味はなかったのだ」

 風変わりな遺書だな。最初に抱いた感想はそれだった。アイドルが書いたにしては、なかなか期待を煽る文章だったからだ。荒れた部屋、昏睡状態のアイドル、それに開かれたままのファイルとくれば、なかなかいい導入だと思う。
 「何かわかったか?」
 私を現実に引き戻したのは、ドスの効いた先輩刑事の一言だった。その一言がなければ、この奇妙な遺書らしきものの引力に囚われ続けただろう。
 「いえ、ノートパソコンの中身はほとんど消されていました。残っていたのはこのワードファイル一つだけで」
そうか、と呟く先輩は他の部屋の状況を説明してくれた。
「やはり何もかも壊されている。テレビ、本棚、家具もひっくり返している」
「錯乱状態だったんでしょうか。人気アイドルが薬物に手を出し、興奮状態のまま家具を破壊。そのまま5階から自殺を図る」
「しかし不運にも意識不明の重体になった、か?」
 ええ、という私の言葉に先輩刑事はかぶりを振った。
 「被害者から薬物反応は出ていない。それにノートパソコンは壊さず、あえてお目当のファイル以外消してしまう、っつーのは解せない」
 その通りだ。まるでこのファイルへ誘導するために全てを壊したようにも取れる。この事故の核心は必ずこのファイルに記されている、と言わんばかりだ。

 人気アイドルグループ「マジョラム・ローズマリー」の桐川こころの入院から二日が経った。どこから嗅ぎつけたのか、ネットニュースでは既に彼女のことで持ちきりだった。曰く狂信的なファンが起こした事件ではないか、曰く誹謗中傷に心を病んでしまったのではないか。真偽不明のまま噂が独り歩きしている。
 もしこの部屋の惨状が外に漏れれば、それらの加速度は一気に上昇するだろう。
「ネットニュースでは桐川のことばかりですね」
「テレビ出まくってたからな。今年の紅白にも出場が決定してたし、世間の注目度は高いだろう」
 桐川が所属する「マジョラム・ローズマリー」、通称「マジョマリ」は、メンバー6人で構成された元地下アイドルだ。芯のある歌唱力と予想ができない個性的なパフォーマンス、それぞれ華があるからお茶の間でも散見されていた。桐川は創設時からのメンバーではないが、明るく朗らかなパフォーマンスが目を引いた。チームを献身的に支えている様は、彼女の担当色でもある黄色にピッタリだった。
 私は桐川像を思い出す。額面上のキラキラした桐川、この部屋の惨状を引き起こした桐川。とても同一人物とは思えない。
 一昨日行われたファンイベントの直後から、桐川と連絡が取れなくなったらしい。マネージャーが部屋を訪れると部屋の中から騒音が聞こえる。今までにない事態に危険を感じた彼は警察に通報、瞬間桐川は飛び降りた。一命は取り留めたものの、未だに彼女は目を開けない。
「おい、ちょっとこっちに来てくれ」
 いつの間に移動したのか、先輩刑事の声が洗面台の方から響いた。向かってみると、部屋と同じく荒れた模様が洗面器を覆っていた。だがそれ以上に驚くものがあった。
 先輩刑事は訝しみながら訊いてくる。
「どうみても一人分の化粧道具の量じゃないよな」
「ええ。……芸能人、ということを加味してもこの量は異常かと」
 引き出し、カラーボックス、洗面台、どこを見渡しても容量に収まりきっていない。化粧水やメイク用具、そのほか様々なものがゆうに一人分を超えている。コスメ紹介系Youtuberなら分からないでもないが、彼女らの本職はそれではない。
「てことは誰かと同居してた可能性はあるな。見ろ、歯ブラシが複数ある。それによく見たらカラーボックスに名前がついている」
 指さした方を見ると確かにそこには上下にカラーボックスがあり、下段には「こころ」と書かれていた。上段にもネームタグは張られていたが、無理やり剝がしたのか文字が読めなくなっている。
「ただ、一つ気になることがある」
「何ですか?」
「さっき鑑識から報告があってな。この家から大量に盗聴器が発見された。しかもどの盗聴器にも桐川本人の指紋がついていた」
 背筋に悪寒が走った。自分の部屋に盗聴器を仕掛ける。その所行がどういう意味を持つのか。この部屋で一体何が行われていたのか。何の為に。
 そして、その二人の関係が崩れるとしたら、一体その原因とは一体なんだったんだろうか?
「しかし分からんことばかりだな」
「さっき妙な文章があったでしょう?まだ読んでいませんが、何か手がかりがあるかもしれません」
 これ見よがしに荒らされた部屋の中で唯一無事だったもの。誘導されているとしか考えられない。しかし、このファイルが無意味なわけはない。
 私は見やすいように先輩刑事のスマホにファイルを転送する。言い知れない重力が、私たちを待っていた。

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