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#035 戦後日本の病理~敗戦利得者による戦後レジーム②

現総理は敗戦利得者の系譜、しかも直系の宏池会で、親中、親米民主党政権で、戦後レジームの本流にある。振り返れば、戦後レジームのご本尊が吉田茂(および、池田ー佐藤政権の流れ)であり、外務省である。
日米開戦に当たり、最後通告を指定時刻に手交できず、日本海軍の真珠湾攻撃を無通告の攻撃となり、米国民にREMEBER PEARL HARBOURと叫ばせ、米国が人類史上初の核攻撃を日本に行ったことの責任が外務省に一切ないとは言えないだろう。それがなぜか戦争責任を全て陸軍に押し付けたのが吉田茂ではないか。敗戦利得者のご本尊と言われる所以である。在ワシントンの日大使館で事務失態を犯した、井口貞夫参事官と奥村勝蔵一等書記官が、占領集結前後で外務次官に栄達しているのはなぜなのか。吉田茂の采配によるものとはいえ、誇りある外交官であれば、斯様な辞令をなぜ受けることができるのか。その後、井口はアメリカ大使、奥村はスイス大使にも就任する。2人の敗戦利得者にとっては、東京大空襲や、沖縄戦、広島や長崎で死んでいった人たちの思いは受け止めることができなかったに違いない。
敗戦利得者本尊の吉田を崇め、戦後レジームを堅持したのが佐藤栄作であった。佐藤長期政権の時に、吉田が亡くなるが、吉田は国葬となり、名宰相としての歴史的評価が固定化されることになる。佐藤は、東京空襲の司令官カーチス・ルメイに航空自衛隊設置に功労があったという理由で勲一等旭日大綬章を授与した戦犯首相だ。東京空襲で死んでいった10万人の国民の事を想えば、絶対にできないことではないか。吉田への個人的な恩義があるにしても、吉田の失政を認めず、吉田を「名宰相」にしてしまったというのが佐藤の過ちである。(杉原誠四郎談)

<敗戦利得者は、占領政策の負の面をいかに継承し、発展させたか>
押しつけ憲法として、米国を非難する前に、敗戦利得者による憲法学こそが問題である。さらにそれ以上に問題なのは、学会以上に政府そのものではないか。学界の見解は、さておき、内閣法制局で見解を新たにすればよいはずだが、吉田による政府の憲法9条解釈は、自衛権はあるが、戦力は持てない、という学界での解釈以上に酷いものであった。WGIP(WAR GUILT INFORMATION PROGRAM)も、結果として成功していないにもかからわず、占領政策を引き継いだ敗戦利得者によって、継承発展され、現在に至っている。よくよく考えると、英仏の植民地支配から独立したものの、旧支配者に代わって君臨し、悪政を布いたアフリカの独裁政権に似ている様な気もしてくる。
憲法9条問題が表面化してくるのは、昭和25年、ダレス国務長官が来日し、日本に再軍備を要請した時に始まる。ダレスは吉田が欣喜雀躍すると予想して提案したが、吉田は9条を盾にして再軍備を断る。これを、平和主義、軍事よりも経済優先として、評価するのが一般的な論調だが、果たしてそうだろうか。そもそも米国経済の大きな牽引力のひとつは軍事産業である。政府が創造する巨大な需要である。供給力されあれば、通貨発行で本来できるはずだ。日本には破壊されたとはいえ、まだ生産インフラは残っていた。再軍備をしおに、米国によって断絶された航空機産業の復活を狙う方法もあったはずである。
日本が国防のための軍を持たないということは、武装解除されたまま、無防備であるということである。結局、軍事は米国さんに任せますよ、占領されたままで結構ですよ、大東亜戦争も日本の全責任で結構ですよ、日本だけが悪うございました。広島、長崎も日本人の責任ということでで結構です、という立場に甘んじることである。そして、「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませぬから。」という広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の曖昧なメッセージにつながる発想がここにある。吉田は、本来、ダレスの要請に対し、再軍備のチャンスと捉え、大東亜戦争の日本の言い分を多少なりとも理解させる必要が絶対にあったはずだ。案の上、再軍備を断った吉田はダレスに軽蔑された。当然である。
大東亜戦争の「戦犯」は、決して「A級戦犯」として散った6人の高級陸軍軍人と広田元外相ではない。米国のエージェントであった海軍首脳部の永野修身、ヒットマン山本五十六、共産主義者と通じていた米内光政や敗戦革命主義者の近衛文麿、風間章といったコミュニストらではないか。また、戦後の戦犯は明らかに吉田を本尊とする敗戦利得者であり、今でも彼らの末裔がメディア、政界、官界に跋扈し、日本社会を苦しめているというのが悲しい現実である。戦後レジームからの脱却が急がれる。

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