R6 6/15 作品、そして俺について

 激務に追われる中、100号サイズが基準の絵の展示会「大きい絵」展にお招き頂き出展する運びとなった。
仕事を理由に事務作業含めた搬入等をお任せしてしまった主催の宏美さん、並びに他参加作家、新宿眼科画廊さんにはお礼申し上げたい。
 元々絵の具やメディウムをキャンバスに乗せる量が少ないので、絵が決まれば描くのに手間はかからない。
 バスキアから始まり、トゥオンブリー、マーク・ゴンザレスのZIEN、セザンヌの描きかけのタブロー……俺自身未完成だったり、描きっぱなしだったり……お行儀の悪い絵に惹かれていた。俺はジーニアスではなかった。落ちこぼれのナード(Nerd:オタクのスラング)野郎だった。だからどこか、学級委員とか野球部のエースとか、ヒエラルキーの上層部に君臨する"出来た人間"に引け目を感じていたのかもしれない。
 美しい、筆跡の無い陶器のような静物画とか、社会的なメタファーを秘めた丁寧な装置のようなインスタレーションなんて無理だった。俺がやってもまず、凸凹のキャンバスに100均の刷毛で塗ったクソみたいなグラデーションもどきや、ボンドや釘がはみ出したり飛び出したりするガキの工作みたいなインスタレーションが関の山だろう。
 酒を飲み散らかし、Oasisをガンガン掛け、新宿の便所みたいなアトリエでボコボコのキャンバスに描き殴るような、泥臭いレトロな画家のやり方で現代アートシーンに挑むしかなかった。物理技しか覚えてないポケモンみたいなものだ。ヒエラルキートップの人間が悪いのでは無い。俺の人生の方向性がそうなっちまったって話をしている。
 
 昔は……まだ駆け出しだったり仕事が大変じゃ無い時は身につけた知識をこねくり回してそれっぽい事を考えて絵に込めたけど、1日の95%を仕事に費やし、寝る前の1時間をやっと趣味に費やせる人生サイクルになってから全部吹き飛んだ。
 俺の人生から抽出したキャラや女の子がタバコを吸って酒を飲んで、絵の具が飛び散る白い画面で好き放題している。それでいいと思った。

 Xではアーティストや批評家が言葉で殴り合いまくってる。仲の良いアーティスト達は割とうんざりしてて、俺自身もうんざりしている。
 1週間の中で絵画は何人の人に死んだ扱いされて、するとまた何人かによってザオリクされたり、幽霊にさせられたり、現代アートの中でまだ絵画は可能か?なんて試されたり忙しそうだ。
 そんな激動でしんどいサイクルから俺は弾き出て、絵を描いている。サイクルが変わったから絵への考え方も変わった。今は自分や俺の絵を受け入れて、楽しんでくれている人に向けて描いているのかもしれない。くたばるちょっと前の絵描きみたいな感じだ。

 Oasisのマスタープランの歌詞に、
"Life On The Other Hand
Won't Make You Understand
We're All Part Of The Masterplan"
(ところが人生は教えてくれない
誰もがみな定められた運命に
身を委ねているということを)
とあった。
 院まで出て、教員になっても俺の人生には、成績3かつ予備校のクラス分けコンクールではドベで、オタクな俺がこびりついている。まるで『アルジャーノンに花束を』のチャーリーみたいなもんだ。満足しているけど。

 俺の絵には生臭い俺自身のことが描き殴られている。
キャンバス地の白は綺麗で敢えて必要な情報しか描かない作家としてのコンセプトもあるし、そもそも全部塗るなんてめんどくさいし、適当に溶いた安いアクリル絵の具だから水分が多くて垂れて跡が残るし……。
 そういう部分も含めて全部俺の絵だ。
 
 そんな意図で絵を描いている。勿論戦略的な部分もあるけど、今日は場末の居酒屋でハイボールを飲みながら語られそうな草臥れた話に集約して、そして眼科画廊の絵を見てみて欲しい。それ以外の話は気が向いた時とかに書くことにするよ。
 
 俺の絵を好きでいてくれてありがとう。



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