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自分の人生について①

*素敵な写真をお借りします。これ、この手、自分なんだな・・って。

私は何をして生きてきたのか?
時間を無駄に生きてきたのかもしれない。
最悪の人間かもしれない。
周りの人はキャリアを積み、充実した時間を過ごしているように見える。
他人軸、自分軸、自己肯定など、色々と鼓舞する言葉に囲まれて現代人は大変だ・・・と感じることが多くなったな・・・

私は、国の機関のかなり激し目の転勤族であるサラリーマン家庭に育ち、母は医療系、ナースだ。


弟が1人いる。ただし、今では私に寄り付きもしない。
とはいえ、そこはやはり弟。
私と付き合いたくないのなら、そうしたらいい・・・という気持ちで私からは何も刺激していない。かれこれ、軽く20年くらいは話もしていないと思う。
子供の時は仲良かったのに・・・

何がいけなかったんだろう
淋しいし、親が可哀想だ。
でも、もう修復はできないかもしれないな・・・

ただ、ひとつだけ言えるとしたら、彼が亡くなった時に私が
『生きていても意味を感じない』
的なことを言ったら
『じゃ、死ねば?』
と言われた時。

その時に、絶対人にそういうことを言ってはいけないということを知るんです。
『それを知るために私にそれを言ったのかもしれない・・・』
と弟可愛さに薄らボケな私。
でも、自分の中ではそれは大きなしこりになっている。
もちろん弟にそんなことを話したことはないが。


様々な場所に暮らした。
側から見たら幸せな家庭だったのかもしれない。
父はグングン社会的地位が上がっていった。子供でもわかるくらいだ。
でも、それを鼻にかけることなくそして、昭和の父らしく、仕事が趣味的な感じで胸を張って国の機関に勤めていた。
でも、いつも友達に囲まれていた。

母も家のため子供達のために一生懸命にやってくれていた。とても感謝している。
先に書いた通り、転勤が激しかったのである程度落ち着くまでは母は働くことができなかった。
その分、家に帰るといつも100点満点の笑顔で『おかえり〜』があった。
職業柄なのかもしれないけど、子供たちの身体のことをいつも考え、ひと口ひと口手を抜くことなく栄養のあるものを与えてくれた。
全て手作りだ。
しかもそれを楽しんでいた。
オリジナリティーも旺盛で時々訳のわからないものを作っては食べ、失敗して時は大笑いした。
そのせいかどうかわからないけど、父母は大きくないが、私は同じ年代の人並みかそれ以上に身長がある方かもしれない。

とにかく、時代と共に成長してきたよくある昭和の家族だ。


今、私は色々感じている。
自分は一体何者なのかって・・・
そう思い、そう感じ始めてからはなかなか《note》にも向き合えなかった。
最後の投稿を見ると、もう2022年ってなってて時の速さに驚いた。

音楽が大好きでそれをやって生きてきて、大人になった。
恋人が亡くなり、結婚し、離婚を経験し、今、まだ高校生の子供を育てている。

その上で私自身のキャリアを考えることが増えたことは確かだ。

もしかしたら、私の1番のキャリアは『子育て』なのかもしれない。

欧米での子育て、外国での出産、10年もの開きがある2度にわたる子育て・・・

結局私がひとつ続けてこられているのは、この《子育て》かもしれない。
そして、それはとても楽しい。
楽しいことって続けられるんです。

音楽も然り。
どんなに忙しくても、どんなに面倒でも1日一回は必ず鍵盤に触ると決めている。
今は、JAZZを弾くのではなく、最初から最後まで譜面に書いてあるクラシックを好きなように弾いている。


私ってつくづく中途半端な人生だったんだ・・・



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