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誰かが体験した奇談。其八『墓場』

『A町Nにある墓場』


本当は、私が体験した話のほうに書くべきだったのだと思う。しかし、どういうわけかこの墓地の話はすっぽりと記憶から抜け落ちていた。
元同僚と話していて、突然記憶の底からよみがえってきた話なのだ。同僚が広域農道で、人をはねた話の時だ。

昔の彼女から聞いた『いわく話』

その墓地のことを聞いたのは昔の彼女からだった。
もとはある町のはずれにある墓地だったという。町も発展し、大きな道路もできて人口も増えたころの話だ。
町はずれにあったはずの墓地もまた、町の発展の中で町の中心地に近くなって移転することとなる。
移転するのは町の北側で、またまだ発展しなさそうな場所に追いやられていった。元の墓地の場所は町のメインストリートが走り、地方銀行やガソリンスタンドなどが出来た。その周りに、古い街並みと新興住宅が入り混じった町が出来ていた。

話の発端は下着泥棒だった。
当時の彼女を含め、私たち何人かと仲の良いグループが出来ていた。もちろん正義感にあふれた男どもがいて、女性陣もいて、1ヵ月に何回かはそのグループで遊んだり、ボランティアに励んだりしていた。
そして、女性のひとりが最近近所で下着が盗まれるという話をしてきたのだ。
「注意しているんだけど、近所で何回かやられているのよ」
もちろん、警察の見回りも増えたし、家の者も注意しているとのことだった。
「よっしゃ、捕まえてやろうぜ」
だれかが言い出すと男どもはやろうやろうと口々に言い始める。自分たちの仲間が困っているなら助けない理屈はない。田舎の感覚かもしれないが。
「でも、銀行の所は気を付けて」
彼女が言った。
「あそこ、お経が聞こえるの」
みんなそれは何の話だとキョトンとした。
「私聞いたんだよ」

その銀行からはお経が聞こえる。
場所から言えば、一番奥の金庫室ではないかと彼女は言った。
午前1時か2時ごろ、確かにお経を聞いたのだという。
「でも、だれかそんな時間にお経を唱えるっていうの」
みんな帰っているはずではないか。
あそこはもと墓地だったよねと誰かが言う。
私だけじゃないんだよと彼女は言った。
墓地を移転するなら、ちゃんとそれなりの供養もしていると思うけどと男のひとりが言った。
では、下着泥棒のパトロールとともにその銀行も確かめてやる。

私は用がありそのパトロールには参加していない。下着泥棒は結局いなかったと後から聞いた。そして、誰もいないはずの銀行からは、ぷんと線香の香りがしたとひとりのメンバーから聞いた。
他のメンバーは、それから後その銀行の話は誰も話さそうとしなかった。
ただ、あの銀行の金庫室からはお経が聞こえるという話は、いつの間にか他の知り合いの間にも広まっていた。
深夜に手押し車を押した老婆が歩いていた。
自転車に乗った老人が、笑いながら走り去っていった。
そんな目撃談だけがしばらく増えていった。

元彼女はお見合いをし、結婚した。
私たちのグループはしばらく集まってはいたが、いつの間にか疎遠になった。

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