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『「叱らない」が子どもを苦しめる』を読んで…

藪下遊 / 髙阪康雅 の著書。
読んで感じたことを記していく。

わがまま ⇔ 個性

 現在、不登校の子には、「投稿刺激を与えずゆっくり休ませよう」とか「一人一人の個性を尊重しよう」とか「子どもの思いを大切にしよう」といった考え方が主流になってきていないだろうか。
 本書では、「思い通りにならないことが耐えられない子どもたち」について問題提起されていた。人は、社会に出たときに絶対的に社会と自分とのズレを経験しなければならない。このズレの経験に乏しく、自分の思いどおりが通ってしまってきている子どもたちは、そのまま社会に出たときにどうなってしまうだろうかということを意識しておかねばならない。
 「個性を尊重しよう」という意識が強いあまり、子どものわがままが通るような経験をさせていないだろうか。今一度、問い直したい。

ネガティブな面を受け入れること

 人は誰しもポジティブな面とネガティブな面をもっている。そして、自分のネガティブな面と向き合うことは辛く苦しいことだろう。ただ、そういう面としっかり向き合い、「それも自分の一部だ」と認める心の強さが必要だとも書かれていた。そしてそのネガティブな面を周囲の大人との関係性の中で納める経験がとても大切だといわれている。
 この経験を幼少期、小学校時代の適切な時期にたくさん経験しておく必要を感じる。そう考えると、身の回りの大人が関わりにおいて、大変に気を付けなければならないと思う。

最終目標は「自分の人生の責任を自分で負える」こと

 自由と責任という話があった。「子どもが、夏休みだからと言って金髪にしたいと言ってきた。親としては夏休み中ならいいいかと思うが、担任の先生は渋い顔をしている」といった内容だった。「金髪にすることによって起こる、色んな出来事を、自分の責任として受け止められるかどうか」が大切といったことが書かれていた。
 自分の社会的立場を理解し、自分の「責任の範囲」を学んでいく経験がとても大切なのだなと考える。こういった経験を繰り返す中で、「責任の範囲の自覚」につながり、自己調整力にもつながってくるのかなと思う。
 そのためにも、逃げずにしっかりとした対話を繰り返すことなのだろうなと考える。問答や対話を繰り返すことが自分の負える責任について考えることにつながっていくのではないか。親や教師といった子に関わる私たちは、こうした最終目標を見据えて、子どもの一生涯の幸せを考えた関わりをしなければならないと思う。

「叱るー褒める」「厳しさー優しさ」「管理ーじゆう」といった単純な2軸で物事を考えるのではなく、最終目標を見失わず、将来的な子どもたちの姿といった長期的な姿を思い描いて子どもたちと関わっていきたいと思う。


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