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話し上手、聞き上手とは

4.5年ほど前にとある知り合いと、
あまり間隔を空けずに2回会うことがあった。

最初に会った時に、その人の好きな特撮の話をたっぷりと聞かせてもらった。話す時の目が子どものようで素敵だなと感じつつ、心地良い時間を過ごした。

その後またすぐに違うカフェで会った時、こんなことを言われた。

「すまん、篤士。あの日話し過ぎたな。シャワー浴びながらちょっと反省した。」

とのこと。

え、反省?何のことだ。と一瞬戸惑った。
しかも、シャワーを浴びながら?と。

でも実際、彼の口からそんな言葉が出てくることに違和感は感じなかった。

その人は誰かといる時、ほとんどの場合「聞く側」に回っているからだ。

聞くという行為で相手の何かを満たし、自分の思いすら押し殺している。ように見える人なのだ。

普段は話を聞く側なのに、前回は俺が話す側だったな、ごめんよ。という気遣いだったのだろう。

客観的に見れば、彼はいわゆる「聞き上手」なのだと思う。

でも、呪術廻戦的に言うと

自分の思いを押し殺す縛りで、相手により気持ち良く話をさせるという状態だと思う。

そして、今の呪術廻戦の本誌がとてもアツい。
僕は野薔薇が好きだ。

すみません、話を戻します。

でも、その人がそんな状態でいる限り、もっと話したいのに誰も自分の声を聞いてくれないという悲劇モードに陥って、自らを閉ざしてしまう気がしてならない。

実際その人は時々連絡がつかなくなることがある。

では何故自分の思いを押し殺してまで、人の話を聞いてしまうのか。

これは自分にも当てはまる節はあるが、

他人に嫌われたくない

という思いが強いのだと思う。

もっと言うと、

他人に嫌われるくらいなら自分のことを嫌いになった方が手っ取り早い

という思いがある気がする。

こう言葉にするとめちゃくちゃ不健康。

でも、そうまでして嫌われたくない人って実はめちゃくちゃいると思う。

人と会う時って少なくとも自分の思いを聞いて欲しい気持ちがあると思うし、でも相手も同じように話したいことがある状態だし、

相互的にそれを理解していたらバランスが崩れることはほぼないと思う。

でも、やっぱり人間は自分の話を聞いてほしい生き物で、その押し合いに負けてしまった側の人は自分の思いを脇に置いて、相手に合わせてしまう。

もちろん、大前提として、「聞く」ことが好きな人だっている。
それでも、聞くためだけに誰かと会う人なんて絶対多くない。

自分が話しすぎてしまっているなと思えば、相手に話を振るし、興味の有無に関わらず、「話す」という行為を相手にさせることでバランスを取っている人って少なからずいるはず。いや絶対いる。

実際僕もそうだった。

でも、そんなコミュニケーションは神経がすり減る。
マジで楽しくない。

それで、話す技術や聞く技術の本に手を伸ばしかけた時

「いや、俺何しようとしてるんだろ」

と我に帰った。

「うわ、今、俺技術で人に気に入られようとしてた」

と、そう思った時、不意に実家に帰りたくなった。

すぐに段取りをして、実家に数日帰省した。

僕はその時、話を聞いて欲しかったんだろう。すぐ母や祖母と色々話をした。

その時にハッとしたことがある。
両者、特に祖母に関しては、会話中ほぼ僕の話を聞いていなかったことだ。

こんな感じだと思ってるんだよね、と言う僕の意見に対して、祖母は

「あんた寒くないの?上着なさい」

とか急に言い出したり、

めちゃくちゃ熱弁している僕の横でこたつで気持ちよさそうに寝ていたり、

10分おきに同じ話をループしたり(この頃には軽度の認知症ではあった)

もうめちゃくちゃ。

それなのに

めちゃくちゃ楽しかった。

会話の真髄を祖母に見た気がした。

勿論、家族はどんな人間かお互い分かりきっているし、嫌われたくないモードが発動することもないけど、

友人ともこんな会話がしたいなと思って、また東京に戻った。

この頃から、「話上手」「聞き上手」なんて言葉がどうでも良くなった。
祖母のおかげで、会話というもののハードルがガクンと下がり、肩の力が抜けたからだと思う。

別に上手くなくてもいい。

寒くないかの心配をしたって良い。

横でうとうと寝てても良い。

それらが腹に落ちた瞬間、別に自分のターンとか相手のターンとかどうでも良くなって、シームレスに奔放に人と話せるようになったと思う。

話し上手、聞き上手、一旦そんなこと脇に置いておいて、話したいことがあれば話せば良いし、聞きたいことが聞けば良いし、そんな感じでいいやぁ、とめちゃくちゃいい加減になった。

てか、嫌われたくないから話聞くってなに?
なんでそんな風に思ってたんだろう?

と、急にさっぱりし始めた二十何歳かの冬でした。

とはいえ、

完全な解決には至っていない。

未だに会話のバランスを取る相手もいるし、横で寝たら確実に怒られる相手もいるし、相手によって使い分けなきゃいけない。

でも、祖母との会話に近いことが出来る友人が数人いるので、もうそれで良い。

余談だけど

その祖母は数年前に亡くなってしまった。

僕はお墓参りの時に、一方的な会話を展開している。
その時は何も気を遣わず、心の底から思っていることだけを祖母に伝える。

なんの嘘もなく僕は「話し」て、祖母は全てを「聞いて」くれる。

そんな気がする。



なぜか最終的にオシャレな終わり方をしてしまったので、最後に後日談。

冒頭の

「すまん、篤士。あの日話し過ぎたな。シャワー浴びながらちょっと反省した。」

と言われた後の彼との会話では、

大義名分を得た僕が

一方的に話し続けた。

俺も聞いて欲しいこと山ほどあったんだよ、と烈火の如く話し続けた。

その人

やっぱりめっちゃ聞き上手だった。

ありがとうございました。すんませんした。

次は肩の力抜いて適当にダラダラ喋りましょうね。

ハッピーハロウィン〜


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