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あの「渋公」を見てきた話

来たる10月5日、あの1988年の渋公の映像が、全国の映画館で公開されますね。それに先立ち(ツイートを見てくださった方もいらっしゃると思うのですが)ありがたいことに、昨日(9月29日)行われた試写会に行ってまいりました。その感想をば。

ソロから沼落ちして早3年……伝説と囁かれるあの渋公は、怖さが勝ってしまって、まだ見たことがありませんでした。
そんな中、他のエビバデと一緒なら! と思ったのと、実は今年、私は22歳になる年……つまり、あの1988年のエレカシメンバーと同級生の、記念すべき年だったのです。これはもう、行くしかねえと決断した次第であります。


席が暗くなり、スクリーンに映像が映ると、そこは混雑した渋公の観客席でした。アングルが素晴らしく、まるで前の客席と自分たちの位置がつながっているかのような、そんな錯覚を覚えます。

……そして、舞台袖のギリギリで煙草をふかす宮本さんが画面中央に。
彫刻のように美しい、そして、まだたったの22歳なのに、いっちょまえに煙草なんてふかしている、同級生の宮本浩次!
そもそも、宮本さん、そしてエレカシというと、私にとっては憧れの大人、手の届かないずっとずっと向こうにいる、輝かしいスターなのです。
それが、スクリーンに映る彼の、なんと生意気に見えること。同い年だと思うと、自然とジャッジも若干上から目線になります。

そんなことを思っているうちに、客電はついたまま、演奏が始まりました。
生き生きとしたバンドのパフォーマンスは、まるで百戦錬磨のアーティストのようで、その貫禄に油断していた気持ちが締まります。
曲は概ね予習済みだったので、雰囲気は掴んだ状態での鑑賞。それでも、映像として目の当たりにすると、確かにその迫力には息を吞むものがありました。

サラウンドの音響のすばらしさも相まって、飛び跳ねる石くん、すらりとスマートな成ちゃん、途中で上裸になったトミの、力強い、気迫のある演奏が視覚・聴覚からダイレクトに、ギラギラとした圧さえも伝わってくる。
そこに宮本さんの、尖った がなり声が、時には突き刺さるように、時には締め上げるように……こちらの迫力も、当然ながら音源以上。
どの曲でも終始 がなり、しかも、体をくねらせたり、よろよろとふらついてみせたり、目をかっ開いたと思えばしたり顔でマイクのコードを弄んだりと、あっちへ、こっちへ、うろうろしながらも全くブレずに響き続ける喉の強靭さ、そして、大きく傾いたり、足を上げたり、しゃがんだりしても本当にバランスを崩すことはない体幹のしなやかさ。今の宮本さんもそうですが、毎秒毎瞬、視線を吸い寄せる見せ方を分かっているとしか思えないパフォーマンスでした。しかも、とびっきりかわいいのです。

そんな中で、「なんか、今と違うな」と思うことがふたつ、ありました。

ひとつは、歌詞が妙に……、説得力がないように感じること。
失礼極まりないかと思われる方もいらっしゃるでしょうが、22歳、同い年だと思って聞くと、あのデーデや星の砂でさえ、「まあ、こういうの、書けちゃうよねえ」と感じてしまうのでした。3月に有明アリーナで聞いたときには、あんなに心に突き刺さったのに……かっこよかったのに……。

そしてもうひとつ、彼らのギラギラ具合。
それに関しては、若さゆえのものかと思いつつ、頭の片隅にふたつの違和感を置いたまま見ていた……最後。アンコール前ラストの曲、「花男」を見ていた時でした。
自信満々に、不遜に、生意気な歌唱とMC、そして時々零れる優美なファルセット。そんな宮本さんの歌を支えつつ、タフな主張も織り交ざった3人の演奏。4人は紛れもなく、「エレファントカシマシ」というひとつの生命体。この時からそうで、今もそうなんだ。そんなことを実感して、胸が熱くなると同時に、スクリーンの中……爛々と光る彼の目を見て、

「俺たち売れるんだ」

そう思っていたのではないかな、と、ふと思ったのです。
過信ではないにしても、おそらく確信というにはあと一歩必要な、いわば手応えのようなもの。そんなものを彼は感じていたのではないかと。


断っておきますが、主観的な解釈に基づく感想なので、事実とは異なる場合があります……というか、たぶん違います。
でも、その可能性に思い至ったとき、私の中で、ふたつの違和感が、ひとつの感想になりました。

仮に、宮本さんが「俺たち売れるんだ」と思っていたとして。
でも、実際には、その後には険しい時期が待ち構えています。
しかし……それを乗り越えて、このなんか生意気な、一丁前にタバコなんかふかしてる宮本青年が、エレカシが、挫折とか苦労、葛藤に立ち向かい、やがて乗り越え、打ち勝つまでの―当時の彼らからしたら―先の見えない道を走りながら、それでもこの時の、「ちょろっと書けちゃいそう」な曲を、いつまでも力込めて歌い続けて……やがて、「彼らが歌っているから信じられる」曲になった。
若い彼らが困難に立ち向かううちに、当然、時は流れていきます。その時間の流れを、味方につけて、追い風にして、エレファントカシマシは変わっていったのではないかなと思うのです。変わらない歌を歌い続けながら、その歌に込めたメッセージ、込めたかったものは変わらないけど、歌う彼ら自身が成長していくから、その歌にこもる説得力がどんどん強くなっていく……それが、エレカシ。

つまり、時の流れは、エレカシにとっては力強い味方、止むことのない追い風なのではないか……と、35年という埋まることのない間隙を一瞬だけ飛び越えて、スクリーン越しに同い年の彼らに触れた私は、いまそんなことを思っています。


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