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⑤【認知症】初めて母が私を認識できなかった日

昨日の出来事。父がひじきの煮物を作ってほしいと言うので、仕事帰りに人参と油揚げとゆで大豆を買って両親の住む家に立ち寄った。親戚からひじきが送られてきたが、母はもうひじきの煮物を作ることができない。

普段は冷凍弁当の宅配を頼んでいる。以前は高齢者向けの弁当を配達してもらっていた。見守りも兼ねてくれるので私としては安心だったのだが、父は量が多すぎて嫌だという理由で断った。

ひじきの煮物の半分は冷凍しておこうと思いタッパーに入れたが、フタが見つからない。母に聞いてみると、「○○が持って帰ったんかな。」と言う。○○と言うのは私の名前だ。母はいったいひじきの煮物を作っているのは誰だと思っているのだろう。


初めて母が私を認識できなくなったのは、約3年前。

まだ両親が隣の県に住んでいた時のこと。ある日、二人はうちに遊びに来る前にスーパーに立ち寄った。偶然私もそのスーパーに行っていて、二人とばったり出くわした。

「おぉ、買い物に来てたんか。」父が言った。

「・・・」母と目が合うが何も言わない。

「○○やないか。」慌てて父が私の名前を言うが、

「わからん。」困った様子で母は答えた。

「何買いに来たん?」

私は母の腕を取り買い物を続けた。

私は当時、老人ホームで事務員をしていた。介護の資格も取っていた。認知症の症状で、身内の顔も分からなくなることがあることは理解していた。しかしなぜか3日後、私は通勤途中の車の中で、前が見えなくなりそうなほど涙が溢れてきた。

あれから3年、今は娘だと分かってもらえなくても何も感じなくなった。ただ、代替品として無償の神経(愛?)が出来上がったようだ。


母が認知症と診断されて8年。

私の心はなかなか頑丈になってきた。

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