「自意識なでなで」はやめた
25歳あたりから、「自意識なでなで」を徐々にやめるようになりました。
最近でも、たまに自意識が「なでてなでて〜」と顔を出しそうになるけれど、あえて目も向けていません。
「自意識なでなで」というのは、例えばよく聞くこんなやつです。
「自分は繊細で傷付きやすい人間だ。それには小さい頃の生育環境が影響している。両親はいつも私の教育方針を巡って喧嘩ばっかりで、私は彼らの機嫌を取るためにいつもビクビクと顔色を窺うようになってしまった。そんな性質のせいか、社会に出てもみんなと騒いだり出世レースに乗ったりするのが苦手。なんでみんなあんな風に鈍感でいられるんだろう。私には無理だ」
こういうのよく聞きますよね。
毒親、トラウマ、HSP…
今回は、自分をそういうところにカテゴライズして安心して気持ちよくなっているのをやめたという話です。
もちろん、上記のような理由から、本当に辛くて人生を穏やかに送ることすらままならない人たちもいます。
上記のような言葉が広まることは、そういう人たちを救うためになっているから大事だと思うし、そういう人たちを責める気持ちは1ミリもないです。
そして、昔は私も自分がその中にいると思いたかった。
そうすれば、上手くいかないことの大半に理由が付くし、自分の努力不足のせいじゃないって安心できるし、このまま何か行動を変えたりしなくてもいいって思えるからです。
「自分の人生が辛いのは親や小さい頃の環境や、私の繊細さを理解しない社会の仕組みや、私にひどい振る舞いをしてきた元彼たちのせいだ」
こう思っているうちは、辛いけど、楽でした。
だけどある時、自分はそのカテゴリーにはいないと決めたんです。
自分の親は毒親でもないし、
過去の辛かった記憶や辛かった人間関係は別にトラウマというほどではないし、
自分はよく傷つくけれどHSPではない。
実際にどうとかはとりあえず置いておいて、
とにかく自分でそう「決める」ことにしました。
逃げ場を自分でなくしたんです。
自分の人生に言い訳をしたくなかったからです。
そして、「じゃあどうすればいいか」に目を向けるようになりました。
例えば、今勤めている会社はゴリゴリの日系大企業で昭和文化もだいぶ残っているので、正直なところ自分に合わない面もあります。
だけど、そこを選んだのは自分なので、文句だけ言っていても始まりません。
だからこう考えることにしました。
「自分がどう思うかよりも、どうしたら心地よく義務を果たせるか」
つまり、
「あ〜、あの上司嫌だなぁ、同期同士をどっちが優秀か比べる雰囲気も嫌だなぁ、ていうか何かにつけて飲み会する文化なんなんだよ〜、私はそういうの好きな性格じゃないのに…」とウダウダ考えるよりも、
「できるだけ在宅勤務できるように、まずは仕事を速く正確にこなして、仕事ができる人というイメージを持たれるようになろう。その上で、飲み会来ないキャラを定着させるためにおうち大好きなことを浸透させていこう」
こんな感じで淡々と考えて、まずは実践するようになりました。
自分の弱いところを変えるんじゃなくて、
弱いところをなでなでして安心して現在地に留まるのでもなくて、
自分で先回りして行動し、自分が生きやすい環境を作る…そういう感じで過ごすようになりました。
状況を良くできるのは自分だけだけですし、
誰かが察して何とかしてくれるなんてことはありません。
そんな社会の中で心地よく生きるには、自分から行動しないとダメだと思っています。
「自分はこういう性格だから、こうだからああだから」
これをやめたら、大変だけど自分のことをより好きになれました。
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