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20240628





今月も
残すところ
あとわずかとなりましたが
いかがお過ごしでしょうか



実は

六月は
わたしが幼い頃
一緒に暮らしていた
祖父の命日があり

ふだんあまり見かけない
生きものを目にして

祖父が会いに来てくれたのかな?
なんて思うことが何度かありました。



そんな流れで
今日は祖父のことを
すこし書きたいのですが……
















祖父は
埼玉の田舎の生まれで

前橋、山形、長崎と
単身転々としながら
学生時代を過ごし

戦争でニューギニアへ行って

また故郷にもどってきて

亡くなるまで

小さな町で
家業を継ぎながら
暮らしていました。




でも本当は

どうやら
その仕事には
つきたくなかったらしく

どちらかというと
本を読んだり
物を書くことが好きなひとでした。

ついでに
ユニフォームである
白衣も嫌いだったようで

デニムのズボンに
女の人がするような
白いエプロン(腰から下の)
をつけて仕事をすることを好み

夕方になると

そのエプロンを外して

大工さんとか 電気屋さんとか
気心の知れた人たちと一緒に
野球を見ながら晩酌をすることが
楽しみの一つのようでした。


また
子どもが好きなひとで

幼いわたしが
一人で退屈しているのを
見つけては

庭の草むしりとか
カルテの判子を押すとか
よくお手伝いをさせてくれました。



わたしの父母は
いろいろな側面で
不安定な人たちでしたが

祖父のおかげで
わたしは
いつもあたたかでした。



それが
忘れもしない
1994年の六月

わたしがまだ小学生の頃

ある日 パタリと
向こう側へ
渡ってしまって





その年の秋には

久しぶりに
贔屓にしていた球団が
日本一になって

大好きだった監督が
胴上げされて宙に舞ったというのに

祖父がその光景を見ることは
残念ながら叶いませんでした。



























家の襖を取り払っての
お弔いでは

たくさんの方が
見守る中

孫たちで
十三仏を唱えながら

順番に

水の入った
コップを手にしながら
故人の前を何周もまわるという
田舎の風習が

子どもながらに
なんとも珍妙にかんじられて



また
久しぶりに
親類縁者が集まると
にぎやかで楽しくて




お別れの時間をそんな風に
すごしてしまったからでしょうか




はたまた、祖父亡きあとの主不在の家の中が、長い間、落ち着かないままだったからでしょうか


わたしが
亡くなった祖父のことを
少しずつ悲しめるようになったのは、
ごくごく最近のことのように思います。













こうして書いてみて 今も

まだまだ やるせないような







最近

昔のことをこんな風に
いろいろと思い出すのですが

まるで
止まっていた時間が
動き出したような

なんだか
不思議なかんじです





































今日は、トップ画像を拝借いたしました。
祖父が縁のあった、山形の紅花。今頃が、開花時期とのことです。

Lemongrass KIYOさん、作品をご提供くださり、ありがとうございました。

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