私の財産は?(不登校支援のこの19年)


今回は、この19年の軌跡をお話しします。
 
娘の不登校から「自分のような不登校で孤立した親の力になれば」と、私はこの活動を始めました。
「いのちの電話」など、いろいろやってみたのですが「自分の原点はやはり不登校」という思いがずっとありました。
そこで、2005年、小さいながら不登校の親の相談室 「親と子の相談室空sora」を高田馬場に開くに至ったのです。
 
活動を通して杉並区の不登校相談会から発足した「セシオネット親の会」とも出会いました。

現在は江戸川区で長年引きこもり支援をやってきた方との共同主催で毎月第3日曜日の午前高田馬場の事務所で続けています。
 
さて、親の相談室から何故フリースペースを始めるに至ったかもお話ししておきましょう。
 
不登校の子たちが元気を取り戻してくると、やがて再出発の時が近づいてきます。
しかし、一足飛びにもと居た学校などに戻ろうとするのはまだまだハードルが高いという現実があります。
そんな時、社会復帰のための中間地点として、「助走の場」が必要ということに気が付きました。

温かいけれどほんのちょっとアウェイの場所。そこでゆっくりじぶんをとりもどすことができ私が「フリースペース雲を作ったのはそんな思いからでした。 

幸い賛同してくれた学生たちのおかげでフリースペースの活動は順調に進んでいきました。
 
ところがそんなさ中、私にがんが見つかりました。2013年のことでした。
ちょうど活動も軌道に乗り、NPO法人化を進めているときのことでした。
この時はさすがに落ち込みました。

それでもスタッフや親御さん、利用者などの「帰るまで守っていますから。」「待っていますから。」の言葉に支えられ、乗り越えることができました。
当時の学生スタッフ達が迷いながらも運営して守り続けてくれたおかげで今も活動を続けていられるのです。
 
ところで、がんを経験して私の中では活動に対する姿勢や話の聴き方が決定的に変わったという気がしています。今になって思うと、それまでの自分は多少不遜であった気がしているのです。
人間の深い悲しみや苦しみにまで
心が届いていなかったと思うのです。
これはその後の私にとっては、非常に大きな変化となりました。
 
活動に復帰した矢先、今度は夫にすい臓がんが見つかりました。
さすがにこの時は「なんで?」と絶望し、しばらく立ち直れずにいました。
しかし悩んだ末、「出会うことは何か意味があるのではないか。」と思い至ったのです。
 
「経済的理由で教育格差ができてしまうのは大きな問題。自分たちで何かできないか。」と学生たちと話しあって始めたのが無料学習支援でした。
 
その無料学習支援も軌道に乗ったと思う矢先、私のがんが再び暴れ始めたのです。

今度は苦しい移植をしないと命の保証はないとのこと。治療を受ける気にもなれなかった時も、背中を押してくれたのは今までかかわったスタッフや利用者、親御さんたちでした。「この人たちのところにまた戻りたい。」という一心でつらい治療も乗り越えることができた気がしています。
待っていてくれる人がいる幸せを実感できました。
 
さて、この2022年の年末、活動を陰に日向に支え、応援してくれた夫が旅立ちました。いなくなって初めてどれだけ支えてもらっていたのかということに思い至りました。
 
こうして振り返ってみると、私はいつも誰かに応援されて、やりたいことをやってきたという気がしています。
幸せな人生です。
 
私の一番の財産はやはり「人」であると、いまさらながらに実感する今日この頃なのです。
 
 
 

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