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元勤め先の同期と飲んで

先日、2年前に退職した会社の同期と久しぶりに飲む機会がありまして、非常に楽しかったんですが。その時に「会社に入った時から専業作家になると思ってた?」と訊かれました。これはその時にも答えたんですが、「全く思ってなかった」というのが正直なところです。

僕が本格的に小説を書き始めたのは、元勤め先に新卒で入った直後でした。当時、その会社では研修期間が3ヶ月くらいあったんですね。研修期間には新人は定時で帰らされるわけで、比較的時間があるわけです。僕は北海道の大学から東京に就職したので、大学時代の友達も周囲にあまりいませんし、時間がたくさんある。そんな中で小説を書いてみようとチャレンジして、書き上げられたことがきっかけで投稿生活が始まりました。

なので、いずれプロの小説家になれれば、ということは早い段階で思っていましたけれど、専業でできるとは到底思っていなくて。兼業作家として末長くやれたらいいなと思っていました。小説家という仕事はそう簡単に専業でやれるほど甘いものじゃないだろうし、そもそも本を出し続けること自体がハードルの低いことではないと分かっていたので、むしろ兼業で続けられるような生活スタイルを編み出すことに専念していました。

結果的に兼業生活は4年間で終わるんですが、専業になったきっかけって本当に色々あって。ひとつには家族の後押しがあったこともそうですし、自分が作家として軌道に乗り始めていたということもそうですし(とはいえ、当時は一度も重版したことがなかったわけですが……)、あと、会社の業務的にもある程度キリがよくて、そういった諸々が同じタイミングで重なったこともあり、専業に踏み出したんですよね。

振り返ってみると、そうした要素のどれか一つでも欠けていたら、自分は今も兼業を続けてたんじゃないかなという気がします。なので実は、僕の強い意志で作家という仕事に全てを賭けた、という感じではなくて、環境的な要因がそうなるように流れていた、ということでもあるんです。

断っておきますけど、僕に専業でやっていく意志がなかったという意味ではないです。ただ、意志だけで変えられない事はたくさんあって。作家として生計が立っていない状況ではやめられないですし、家族の反対を押し切って会社を辞めれば遺恨が残りますし、仕事が半端な状況だと後ろ髪を引かれるでしょうし。そういう、自分を取り巻く色々なことが整理されていくことで、偶然にも意志通りに行動することができた、ということなんです。

僕はそういう経緯で専業になったこともあり、あまり「意志の強さ」みたいなものを信じてなかったりします。それが無意味だと言いたいのではなくて、意志の問題だけでは事態が動かない時もある、ということです。むしろ、事態が動きそうな時に適切に意志を発動できるかどうか、の方が大事で。強さ・弱さみたいなことよりも、機を逃さないかの方が大事なのかなと 実体験から感じます。

こういう話って成功者バイアスがかかっているので、全く再現性がないことは重々承知しているんですけれど。でもやっぱり、「気持ちの強さ」とか「思い入れの強さ」だけではどうにもならない局面は絶対あると思うんです。同期との飲み会でも思い出しましたけれど、会社人生10年やっていた中で、そういう局面はたくさんありました。逆に、自分が思っていた以上にするすると事態が展開していくこともありました。

元勤め先の同期たちは、何とかいい仕事したいと思って、それぞれの立場で奮闘してやっています。その大半は思い通りにならないわけですが、それでも腐らずに頑張っている人もいる。そういう思いをたくさん聞いて、会社員でいることが少し羨ましくもなりました。同時に、僕が専業でやっていることも、大きな流れの中で起こった偶然に過ぎないのかなと思わされました。

会社を辞めてもうすぐ2年経つんですが、今でも同期たちは僕が作家として頑張っていることをすごく応援してくれますし、直木賞の候補になったことも含めてとても喜んでくれます。また次回、胸を張って会えるように頑張ることが、応援に対する精一杯のお返しになるのかなと思います。

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