現代史問題集①

【1】1970年代以降、スリランカでは民族的・宗教的対立が激化し、後にこれは大規模な紛争へと発展した。この紛争で争った2つの民族に触れながら、両者の対立が深まった背景について簡潔に説明せよ。

【2】第三勢力の中心として1950年代前半に非同盟・中立外交を展開したインドは、1950年代末から1960年代にかけて「ある国」との対立を深め、外交政策の転換を強いられることとなった。このことについて、簡潔に説明せよ。

【3】1947年と1965年に展開されたインド=パキスタン戦争(第1次・第2次)と、1971年に展開されたインド=パキスタン戦争(第3次)ではそれぞれ争点・背景が異なる。どのように異なるのか、説明せよ。

【4】大韓民国が1960年代から70年代に急激な経済発展を果たした過程について、その前提となった出来事と、工業化の形態に触れながら簡潔に説明せよ。

【5】1970年代初頭のチリで成立したアジェンデ政権は、世界初とも言える特徴を有していた。この特徴について簡潔に答えよ。また、この政権が後にどのような形で終結したかについて説明せよ。

【6】1979年にイランでイスラーム革命が起こると、周囲のイスラーム諸国はこの動きを警戒した。とりわけ隣国のイラクは、この革命に対して危機感を最も強めることとなったが、それは何故か。宗教的観点から説明せよ。

【7】1990年、イラクは突如クウェートに侵攻してこれを併合した。何故イラクはこのような行動を取るに至ったのか、簡潔に説明せよ。

☆想定解答☆

【1】少数派・ヒンドゥー教徒のタミル人は、スリランカで多数派・仏教徒のシンハラ人に対する優遇政策が実施されたことに反対し、自立を求めた。

【2】1959年、チベット反乱に際しダライ=ラマ14世がインドへ亡命すると、中国とインドの対立は深まった。1960年代にはカシミールを巡り中印国境紛争が展開され、敗北したインドは米ソ両国に接近し、中立を放棄した。

【3】前者では、カシミールの藩王がインドへの帰属を表明したことから、多数派であるムスリムの住民らが反発して紛争に発展した。後者では、西パキスタンからの分離を求める東パキスタンの独立運動に、インドのインディラ=ガンディー政権が介入して紛争が勃発した。

【4】日韓基本条約で得た日本の経済援助と、ベトナム戦争での特需を基盤として朴正煕が開発独裁を実施した。自由貿易を前提とする輸出志向型の工業化を進めた。

【5】民衆が投票する選挙によって成立し、議会制のもとで社会主義化を目指した世界初の政権であった。共産主義の波及を恐れるアメリカの支援を受けたピノチェトの軍事クーデターにより打倒され、以降チリは軍政に移行した。

【6】イラン=イスラーム革命はシーア派による革命であったため、政権はスンナ派でありながらも住民の多数をシーア派が占めるイラクは、革命の波及を最も強く警戒した。

【7】イラン=イラク戦争により経済的に疲弊したイラクは、豊富な石油資源を隣国のクウェートに求めた。

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