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中央西線の彼はもしかして

自宅と実家の行き来の途中、木曽路をクネクネ行く中央西線を使う。数年前の夏、そこで一人の青年に会った。

そのとき、私は名古屋に向かって特急「しなの」に乗っていた。お盆前後で満員。デッキにもたくさんの人がおり、私もトイレ近くに立っていた。

木曽福島駅を過ぎてから、トイレがずっと「使用中」で開かないことに気づいた。何人かノックしても、ノックが返ってきて、一向に空かない。
近くの人たちが不審に思ったか、ブツブツ言い始めた。トイレに行きたくて待っている人もいるようだ。

一人の中年女性が、業を煮やしてドアを叩き始めた。
ドンドンドンドン!
「開けてくださーい」
ドンドンドンドン!
「大丈夫ですかー」
ドンドンドンドン!
「出てこないと車掌さん呼びますよー!!」
ドンドンドンドン……

やがて、ゆっくり控え目に開いたドアの隙間から、若い男性が便器の前にしゃがんでいるのが見えた。
吐き気があるのだろう。中央西線は振り子電車と言われ、酔いやすいことで有名だ。
ドアを叩いたオバサンは、彼と何かやり取りしている。よく聞こえないが、キツイ口調なのだけはわかった。
――具合の悪い人にあんな言い方しなくても。若い男の子ってだけで敵対視して、かわいそう。

「とにかく一回出てくれる?」
そう言われた彼は、荷物を抱えてすごすごトイレを出、向かいの洗面台に移動した。同じ年頃の息子がいる私は、彼が不憫になって話しかけた。
「大丈夫? 体冷えてない?」
車内はわりと冷房がきつい。手の甲でそれとなく彼の腕と耳に触れ、体温を確かめた。息子にもこうやって熱を測ったものだ。彼は、寒くはなくて吐き気だけだと答えた。

サッと見たところ、大学1~2年生。黒い綿シャツに黒い綿パン、荷物も黒いリュック。腕には玉のついたブレスレットをして、頑張って大人っぽくオシャレした感じだ。惜しいことに、靴だけ水色に黄色のラインが入ったアシックス。黒い靴を買う余裕がなかったのか。でも、そのちぐはぐな感じがかわいいと思った。

彼と私のやりとりを見ていた他の人が、酔い止め薬を差し出した。アメを渡して「なめとくといいよ」と言う人もいた。
さっきのドンドンドンのオバチャンが、「みんなやさしい……」とつぶやくのが聞こえた。

彼はしばらく洗面台前にいたが、実際に吐くことはなく、なんとか持ち直したようだ。
駅をいくつか過ぎて、デッキの人はまばらになった。彼は、と見ると、スマホを見ている。大丈夫だな、と思った。

ところが少しすると、彼はまた気分悪そうにし始めた。スマホを見たのが悪かったのかもしれない。思わず声をかける。
「大丈夫?」
「いや、ダメッ……うぇ」
「なんか変なもの食べた? それとも酔っただけ?」
「わかんない……うぅ」

しばらくそんな感じだったが、やがて彼は
「もう限界なんで、次で降ります」
と言い出した。
「ほんとは(終点の)名古屋まで?」
「ほんとは名古屋まで」
「そう、大変だね……」
一緒に降りてあげたくなったが、知らないオバチャンに付いてこられても困るだろう。

やがて次の駅に着いた。多治見だっただろうか。彼は
「じゃあ、降ります」
と私に挨拶して降りて行った。
「気を付けてね」
すでに具合の悪い人にそう言うのも変だと思ったが、他にかける言葉が見つからなかった。

その後、やけに彼のことが気になり、何度も思い返した。あの後どうしただろう。ご家族に連絡を取っただろうか。無事に名古屋まで行けただろうか。

9月末、テレビで「御嶽山おんたけさんの噴火から1年」と聞いて、ふと彼のことが頭に浮かんだ。
――あれ? 御嶽山て中央西線の近くじゃなかったっけ?
調べると、登山するには木曽福島駅からバスで登山口まで行くらしい。そういえば、トイレが開かずの扉になったのは、木曽福島の後だった。

私は、1つの可能性に思い至った。
彼が乗ってきたのは木曽福島駅。黒づくめの服。足元だけ山にも登れそうなランニングシューズ。荷物はリュックサック。そして、数珠のようなブレスレット。
御嶽山が噴火したのは前年の9月だから、その年は犠牲者の新盆にあたる。
彼はもしかしたら、身内か知り合いが被害に合い、慰霊に行ってきたんじゃなかろうか。吐き気がひどかったのは、哀しみを抱えていたせい……?

もしそうだったなら、もっともっとやさしくしてあげたかった。彼はあのときどんな気持ちでいたのだろう。
私の勝手な想像で、全く無関係かもしれない。それでも妄想が止まらない。
あのとき、彼は長野県の木曽福島から乗って、ずっと具合が悪く、名古屋まで行けずに岐阜県で降りてしまった。御嶽山には岐阜県側にも登山口があるのだ。
ひょっとして、彼は岐阜県側から御嶽山に戻ってしまったのだろうか……なんて。被害者や行方不明者の中には大学生もいたはずだ……。
まさか、それはないか。彼にはちゃんと足があった。派手なアシックスを履いていたではないか。

夏に中央西線を通ると、2度と会うことのない彼を思い出す。
また9月27日が来る。今年であの噴火から10年。突然の噴石や噴煙に襲われ、熱波の中で亡くなった方々は、どんなに怖かっただろう。ただただ安らかに……と思う。
そして、もし彼が関係者であったなら、辛い想いが少しでも和らいでいますように、と切に願っている。

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