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手をつないだ記憶①『見知らぬ老婦人――心を一瞬で溶かしてしまう手』

大人になってから、だれかと手をつないだことはあるだろうか。

日本には握手の習慣がないから、恋人や子どもとでもない限り、人の手を握る機会はあまりない。だからこそ、成り行きでだれかの手に触れた瞬間は、鮮明に心に残っていたりする。

*****

冬のある日、体調不良を押して仕事の打ち合わせに出かけた帰り道。疲れを感じながら電車のホームを歩いていると、ツトツトと前を行く高齢女性が見えた。

その人はベンチに座っていた高校生くらいの男の子に近づいていく。
――あら、お孫さんかしら?

女性が話しかけると男の子は立ち上がり、彼女の手を引いて電車の乗り口へ導いた。女性は手を借りたままそこで何度か足踏みし、ひょいっと中へ乗り込んだ。パーキンソン病なのか、歩き始めや段差が苦手のようだ。誰かに手を借りないと動き出せないのだろう。若者はすぐにベンチへと戻っていく。見ず知らずの他人らしかった。

――それにしても勇気があるな。私が同じ立場なら、若い男の子に頼めるだろうか。
彼女は悪びれる様子もなく、当然のごとく手を借りて、堂々としている。

私も同じドアから同じ車両に乗り込んだ。なんとなく目の端で彼女を捉えながら2駅、3駅。すると、向こうのドア近くにいた彼女がソワソワし始めた。

こちら側から降りたいのだな、と察した私は、さっきの男の子に倣って、彼女に手を差し出した。ごく自然に「どうも」という感じで私に手を委ねた彼女は、さりげない「ありがとう」とともにこちらのドアから降りて行った。

その間ほんの1~2秒。その瞬間、私の胸はズキュンと撃ち抜かれた。彼女の手はすべすべで柔らかく温かくて、極上の触り心地だった。
――ああ、家族に愛されているお母さんの手だ。
たった一瞬触れられただけで、カチコチに固まっていた私の心が溶けだした。

急に自分のガサガサで冷たい手が恥ずかしくなった。彼女は、私のことをどう思っただろう。心の荒れた余裕のない人間と見抜かれただろうか。

高齢で障がいがあり助けを必要としても、彼女は凛として清々しかった。必要以上に感謝しない姿がかっこよかった。

それはきっと、自分に自信があるからだ。家族を大切にし、家族から大切にされ、自分自身も大切にしている。それが、手入れの行き届いた手から感じられた。

私はどうだろう。いつも自分に不満で、もっと賢くなりたい、もっと有能になりたい、と上ばかり見ている。

現状に感謝し、大切にすることを忘れていた。ささやかな仕事に振り回され、家族や自分のことは置き去りだ。硬く荒れた手がそれを物語っているようで惨めになった。

――結局、いくら自分を磨いたつもりでも、足元がしっかりしてなきゃ、自信なんて持てやしないんだ。もっと、家族や日々のくらしを大切にしなければ。

――今日は早く帰って家族にやさしくしよう。自分にも、お風呂上りにクリームをたっぷり塗って労わろう。

きつく縛った心が解けたせいで、自分を少し俯瞰できた日。掌にあの人の温かさがしばらく灯り続けた。

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