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サラリーマンというマラソンレース

管理職のひとこと

「我々のサラリーマン生活は、長い長いマラソンみたいなものなんだよ」
ある年の人事考課の面談で、管理職からこう言われました。
定年までの道のりを、その都度一喜一憂せず細く長くやっていきましょうというわけです。

”休職”とは

サラリーマン生活=マラソン という例えは、言い得て妙だと思います。
そして、休職を経験してからその思いがさらに強くなりました。


例えば、体育の持久走。走るのが苦手な人は途中で歩いてしまうことがあるでしょう。
『絶対に止まりたくない、ゴールまで走り切ってやる』
何とか頑張るのですが、ついに走れなくなってしまう。その瞬間、絶望感や悔しさ、敗北感が渦巻いてきます。そして、また走り出してもすぐに歩いてしまう。やがて、歩いていることに躊躇いもなくなってきます。
この一連の感覚は、休職のそれと非常に似ています。もし休職とはどういうものか、誰かに伝えることがあるとすれば、私はこの話をするでしょう。

あるいは、TV中継されるような一流のマラソンレース。序盤は大勢のランナーが先頭集団を形成していますが、徐々にふるい落とされていく。一度集団からこぼれ落ちたら、元に戻れる選手はほとんどいません。
休職もこれと同じで、必死で食らいついていたものを手放してしまったら、もう元には戻れないのかなと感じています。まさに、落ちこぼれというやつです。

”やる”ために”やらない”ような世界

子供の頃(社会人になるまで)は、一生懸命・必死になって努力すれば必ず報われると教えられてきました。実際に、それを目指していれば良い結果が得られることが多かったと思います。しかし、大人の世界ではそれが全く通用しません。むしろ真逆で、社会とは最小限の努力で成果を生み出すことが求められる世界だと思います。
そのためには、必要以上にアクセルを踏まず、かといってブレーキも多用せず、エンジンブレーキを駆使してのらりくらりやっていくのがサラリーマンの生き方なのかもしれません。

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