「しょうがない」という病気。

こんばんは、焼却炉です。本日も心に溜まったもやもやを具体化していきたいと思います。よろしくお願い致します。


月並みなことを言うと。

この世は不条理で溢れている。
だなんて月並みなことを言いたくなってしまった。もうどれだけ使い古されたのか分からないこの言葉はこれからもきっと使い倒されるのだろうと思う。

どうしようもなく理不尽なことというのは突然訪れるもので、心を抉っていくけれど、その分を取り戻せる幸せが後からやってくるかというと別にそうでもなくて。幸福と不幸は50:50だと誰かが言ったような気もするけど、前世とか、その辺りまで含めないとそうはならない気がする。幸せにはなかなか気づかないというけれど、気づけない幸せをもらったところで、理不尽で傷ついた心が癒せるはずもない。


理不尽をしょうがないで片づける。

今まで何回理不尽だと思ったことがあっただろうか。誰しも理不尽な目に人生で一度以上はあっていると思うけれど。そんな時、周りの人はたまた自分が、そんな理不尽を「しょうがない」の一言で片づけようとする。確かにはたから見たらしょうがないのかもしれない。でも私が受けた理不尽は、辛さはしょうがないことなのだろうか。そんな一言で片づけられてしまうほど、ちっぽけなものなのだろうか。「しょうがない」そう言ってくる人達もきっと、以前そうやって片づけられてしまったんだと思う。でも、その時、その人はどう思ったんだろうか。

もし、嫌だと、辛いと思ったのであれば、他の人に「しょうがない」と声をかけることは、過去の自分を押し込めることに他ならないのではないだろうか。私は、そんな「しょうがない」で押し込められるのは嫌だ。理不尽な目に合っているのは私で、辛いのは私なのに、何故他人の「しょうがない」でその気持ちを抑え込まなければならないのだろう。


自分が我慢すれば、という模範解答

このような模範解答が世の中には蔓延しているが、誰が決めたのだろうか。我慢しても解決しないことがある。切り捨てたり、踏み込んだりしなければならないことだってある。我慢していたって、自分がいつか壊れてしまうだけだから。自分が大破するくらいなら、周りに小さながれきが落っこちてくるくらいがちょうどいいのだと思う。人それぞれ考え方はあるだろうけど、

私は壊れるくらいなら、切り捨てるか、壊す方が良い。

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