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綴り

 人生とは自分自身の個を綴った小説だ。

最近はそんなことを空白に考え耽ってみる。
私は今何ページ進んでいるのだろうか。100ページくらいか?いや、広辞苑くらいの厚みがあるかもしれない。
我々は終わりに向かう生き物だ。物語にはエンディングが欠かせない。しかし、人生は自分自身で終わりを知ることができない。そこに生きる面白さを感じるからこそ人は存在の証を証明し続けるわけだが…

人はいつ死ぬかわからないのだ。
どうせなら厚みのある物語にしたいし、私は私を書き続けたい。あの日食べたスイーツの話や友人と語った人生の話やあの日見た美しい景色をなんて、なんでもないものから熱く、少し気恥ずかしい、そんな深みのある話まで。

 私は、なんやかんやで最低でもあと50年くらいは生き続けられるのだろうと思っているが、その甘さが存在を減らしかねない。
20を過ぎてから我々がそんなことを考え始めるのは元々の人間の寿命設定が50過ぎ頃であり、中間に差し掛かった20代が死に向かう感覚を本能的に感じているからではないかと思う。

現在の平均寿命は90に近い。
なんなら人生100年時代がすぐそこに来ているらしい。

そんな今ある我々の人生。

言わばプラス40年ぐらいは先人たちが作ったオマケみたいなものだ。それは大変素晴らしいことだが、逆にそれが私たちをのんびりさせているのかもしれない。

私は人生を長いものとは思わない。

人生は短いのだ。

故に人生は生き急がねばならない。

だからこそ
 私は会いたい人に会える時に会おうと努めよう。より善く生きようと考え続けよう。この瞬間を楽しみ、しっかり今を大切に生きよう。そんな心の有り様でい続けたいと思うのだ。

それは私の人生に悔いを残さず終わることができるものと思っているから。







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