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Ausencias
「遠くに行きたい」
いきなりコーヒーカップを置き、彼女はいつもの笑顔でそう言った。
ひと呼吸置いて、さらにリズミカルに言葉を続ける。
言葉はどんどんコーヒーカップの中に飛び込み、茶色い飛沫を上げながらテーブルに散らばる光景は、彼女が楽しくなった時によく現れる、羅針盤を失った頭の中を覗くようだ。
せめてでも、白のテーブルクロスが引かれていたら、彼女の思い描く未来が分かりやすかっただろうに。
しかし、手入れの行き届いた楡のテーブルの上では、茶色の濃淡しか見えない。
どんどん増えていくまだら模様に、僕は目がくらみ始めた。
いつの頃からだろう、彼女が発する言葉が見えるようになったのは。
当初は、より深く彼女の内面を知ることができたと喜んだものだが、今となってはその見える言葉一つひとつが鎖となって連なり、僕の身体に重く纏わりつく。
始まりが見えないその鎖は、手元で少しずつ伸びて絡まる蔦のようだ。
僕は茶色の水玉模様を慎重にさけながら、彼女の白く柔らかい頬を指でなぞった。
そうすると、彼女はおしゃべりを止め、少しの余白が生まれる。
今のうちに呼吸を整え、頭をめぐらせる。
そんな時の僕は、いつもこの場を上手くやり過ごす方法しか考えてない。
口を開けたら、否応なしに鎖の一端を押し込まれる。
しかし、良案を思いつく訳でもなく焦る僕は、いつものように彼女の顔を引き寄せ、これ以上鎖を作らせまいと唇を塞いだ。
冷めたコーヒーと無数の水玉のグラデーションの間で、今日もまた同じ問いを反芻する。
僕は何故こんなにも不安で、息苦しいのか?
何と繋がってるかも分からないこの鎖に繋がれて、何もできずにいる自分は、本当に存在しているのだろうか?
不安から解放されたいと願う自分がいるのに、僕には自分の姿が見えない。
彼女には、僕はどう見えているのだろう?
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Ausencias
「不在」と訳されるこの曲は、1985年の映画『ガルデルの亡命』の挿入曲としてアストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)が作曲している。
私はDino Saluzziのソロバンドネオンで演奏されるこの曲が好きだ。
83歳のバンドネオン奏者の、もしかしたら最後のアルバムになるかもしれないこの作品に、私はいつも胸が詰まる思いで聴いてしまう。
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1976年の軍事クーデター以降、誘拐、拷問、虐殺が日常となっていたアルゼンチン。83年に軍事政権が終わりをとげても、複雑な性格のアルゼンチンという国は、一筋縄では理解できない国である。
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