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後北条氏ゆかりの神社仏閣 あきる野市②興國山真城寺
興國山真城寺
本尊:延命地蔵菩薩
住所:東京都あきる野市上代継344
宗派:臨済宗建長寺派
開山:復庵已大光(大光禅師)
復庵宗己(ふくあん そうき)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗の僧。
常陸国人領主小田氏の第8代当主小田治久の猶子。延慶3年(1310年)に渡元し、中峰明本の法を嗣ぐ。建武2年(1335年)常陸に臨済宗の道場正受庵を開山し、のち法雲寺と改称した。
開基:足利基氏
中興:北条氏照
歴史
一時は荒廃していたが、天正7年(1579)に八王子城主北条氏照によって再興された。一説には、氏照の家臣大石遠江守玄光の再建とも伝わる。また、真城寺の『過去帳』には、北条氏照が大石遠江守玄光を名乗ったと記されている。何れにしても北条氏照の回向位牌があることから、氏照の援助のあったことは間違いないであろう。
天正17年(1579)頃と文政2年(1819)頃に2度の火災が有り、『過去帳』を除き、古記録など焼失したため、由緒などは不明である。現在の本堂と庫裡は文政4年(1821)頃の再建である。
慶安2年(1649)8月24日、江戸幕府3代将軍徳川家光から寺領として、7石2斗の御朱印地を賜っている。
文化財には北条氏照の回向位碑がある。高さ約50センチ、表に「当寺開基青霄院殿透岳関公大居士」、裏に「天正十八庚寅天七月十一日」と彫られている。
また、境内には宝箆印塔が2基あり、いずれも室町時代(応永14年(1407))のものであるが、かなり荒廃している。1基は寺の開基足利基氏の妻瑞雲尼の墓、もう一基は従者の墓と伝わる。
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