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【3分で読める小説】シロクマ文芸部「始まりは」『魂の守護者』

※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

始まりは、一冊の本だった。

書類整理がひと段落した笹城ささしろアンナは、研究室を出て足早にラウンジに向かった。本日三杯目のコーヒーになるが気にしない。

コーヒーを一口飲み下し小さく息を吐きだすと、窓の外に目をやった。木々の緑が眩しく輝き、数人の学生が笑いながら陽の下を歩いているのが見える。窓の外と内では流れる空気と、時間さえも違うようだった。

アンナはひどく緊張していることを自覚していた。この後の作業の事を思えば緊張することは前々から分かっていたことだ。彼女は残りのコーヒーをぐっと飲み干すと、ラウンジから出て薄暗い廊下を歩き始めた。

その存在を知ったとき、なんておぞましいことをしたのか、と思った。けれど十六世紀頃にはヨーロッパなどで登場していたというのだから、人間とはどこまでも残酷になれるものなのだなと背筋が冷えたのを憶えている。あれから十五年が経った。

人皮装丁本にんぴそうていほん

彼女が研究過程で目にしたその本には、二十代で亡くなった女性の、肩の皮膚が使われているとのことだった。つまりは遺体の一部を使っているに他ならない。

実際に目にした時は、使われたその女性のことを思い心が痛かった。同性という共通点があったからかもしれない。ある時には、牛や羊と同じ、動物のような扱いを受けたのだと、なんという侮辱だろうかと、腹の底がムカムカしたこともあった。

動物の皮を使った革製品はいろんな場面で見かけるし、合成皮革より丈夫で持ちが良いのも事実。本の装丁にも使われるし靴にも鞄にも使われている。そう、革製品を思い浮かべるうちにはた、と自分の仕事鞄の中にある名刺入れに思い至り、暫く使えなくなったこともあった。

革製品について調べもした。皮から革へと変える二十以上の工程。こんなに手間がかかるものなのかと感心し、また名刺入れを使うようになった。以前よりも大切に。

革製品には食用の牛の皮を用いたりしているのだから、つまりは食べるために牛を殺した際の副産物だ。であれば、捨ててしまう皮を何かに使えないかと試行錯誤するのは自然なのだろうか。

ブロッコリーの茎を工夫して料理に使うように、映画の無料チケットを消費するように。

ふと、共通する言葉が頭に浮かび、アンナはかぶりを振った。
そんなことのために彼女は遺体から皮を剥ぎとられたのか?

そうしてアンナは、彼女の尊厳を傷付けないように、慎重に大切に扱い、話し合っていくと誓ったのだ。

ようやく、今日彼女を救うことができる。
アンナは今、その本の前に立っている。近づけば毛穴まで確認できる彼女の皮膚は、彼女の一部は、やっと解放される。鼻がツンとして視界が揺らいだ。

アンナは慎重に大切に、その本から彼女を取り外した。


**


わたしは今日、約百五十年におよぶ役目を終えた。

浜次はまじがどうしてわたしを選んだのか。
本を守る者として? それとも、ただそこにあって都合が良かったから?

あの人がどう考えていたのか、わたしには分からない。

わたしの一部は本の装丁になった。
作家の宇城うきなおが記した『黄泉よみ渡る蝶の行方』という、死後、蝶によって運ばれる人間の魂について書かれた本の装丁に使われていた。

わたしの皮を剥いで装丁した浜次が何を思って人間の皮を装丁しようとしたのか、そしてなぜわたしを選んだのかについて、口を開くことなくこの世を去った。

ただ残ったのは、わたしが『黄泉渡る蝶の行方』という一冊の本を守護してきたという事実のみ。

長かった。人としての人生を終えた後の百五十年。腹を立てたこともあったし、悪夢を見続けているのではないかと思ったこともあった。

読んだことはないから詳しい内容までは知らないけれど、長年連れ添ったこの本の中身は、わたしの魂の行き着く先を教えてくれるものだったろうか。正直なところ、ようやくこの地獄を終わりにすることができたと思っているのか、役目を勝手に終わりにされたと思っているのか、自分でもよく分からない。

分からないのだ。


★小牧幸助さんの「シロクマ文芸部」に参加しています。


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