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【5分で読める】#シロクマ文芸部「振り返る」『風が吹く』

 どこかに避暑地はないものかと香苗かなえは振り返った。こめかみから流れ落ちる汗を拭う。
 校庭を囲う様に生えた木々の陰は、応援に駆け付けた保護者たちで満員だった。加えて、木陰を形成する葉はぴくりとも動かない。

 体育祭である今日は、昼前にも関わらず容赦ない日差しが降り注ぎ、生徒たちの体力を削っていた。香苗が控えているテントの下でも、生徒がぎゅうぎゅう詰めの中、体操服の襟元をつまんで揺らしたり、手で顔を扇いだりしている。身に着ける赤の鉢巻すらも、目に暑さを訴えかけていた。
 香苗は本日三枚目の汗ふきシートを取り出すと、首後ろでシートの冷たさを味わってから拭き始めようとした。が、すでにシートは生温くて思わず顔を顰める。
 校庭では五十メートル走が行われていた。一位でゴールした生徒がガッツポーズをしているのを、香苗は温度のない表情で見つめる。

 香苗は走るのが得意ではなく、直近の五十メートル走のタイムは十一秒台。運動音痴というわけではないのに、だ。そのことが余計に恥ずかしく、単純な速さを競う五十メートル走はいつも出ない。

 そこで選ぶ競技は、デカパン競争だ。今年で三回目の出場である。
デカパン競争は、トラックの第一コーナーは女子の、第二コーナーは男子のスタート地点になっている。スタートするとお互いに走って来て、同じ組の人とペアになり、手を繋いで平均台を渡る。その先でその名の通り、デカいパンツの片脚に一人ずつ入り、二人で一緒にゴールを目指すのだ。
 香苗からすれば一人で走るより二人で走る方がマシ、というわけである。
「香苗ちゃん! やる気出して」
 クラスメイトに送り出され、曖昧な返事を残しつつスタート地点に向かった。

 ピストルが鳴ったのと同時に走り出し、向こうから走ってくる男子の中に赤色の鉢巻を探す。
「あ」
目が合ったのは同じ中学出身の真斗まなとだった。一言で言うと「何にでも一生懸命な奴」。
「香苗! 行くぞ」

 答える間もなく、手を引かれ平均台を渡った。デカパンの置かれている場所に辿り着き、それぞれ体をデカパンの片脚に通す。その時点で、香苗たちの前には一組の男女が走り出していた。
 左手でデカパンの端を持つと、真斗に声を掛けられる。
「手、まわせ」
 右手を真斗の腰にまわした瞬間、同じように左腰に手をまわされた。ぐん、と後ろから支えられ走り出す。どんどん加速して前髪が風に攫われる。

 なんて速さだ。このスピードで五十メートルは先にあるゴールまで走るつもりか。無理無理無理無理っ。
 右手で掴んでいる真斗の体が熱い。そこから香苗の右腕も右肩も通じて、熱が流れこんできた。
 耳元で音がする。風を切る音と、香苗自身の必死な息遣い。
 顔に貼りついていた汗が後ろへと流れる。プールにどぼん、と飛び込んだ時のような爽快さが体を包む。
 ゴールは目の前。

「あっ」と思った瞬間には転んでいた。
ゴール直前に香苗の足がもつれて、前転するようにしてゴールに文字通り、転がりこんだ。
 息切れしながら顔を上げると、順位の書かれた旗が差し出され、それを真斗が受け取った。
 地面に座りこんだまま「ははっ」と香苗が空を仰ぐと、真斗は隣で「うおっ」と声を上げた。
「お前血だらけじゃん」
 言われて香苗が自分の体を見ると、左肘から手首にかけて地面で擦った痕があり、血と砂が付いていた。両膝からも血が出ている。
「ほんとだ。保健室の先生んとこ行ってくる」
 香苗は自分が一回転したことでねじれたデカパンから何とか這い出ると、歩き出した。
 息を大きく吸い込むと、相変わらず空気は暑いが、清々しい。傷の痛みも、体中から流れる汗も、香苗は気にならなかった。


「大丈夫か? ごめんな」
 手当を終えテントに戻ると、真斗が顔の前で手を合わせてみせた。
「数日はお風呂入るの、勇気いるわ」
「たしかに。派手に一回転したし。一番目立つ一位だったな」
 真斗は傷一つない手を頭の後ろに組んで余裕そうな顔をしている。

 これだから運動が得意な奴は。
 香苗は呆れたが、次第に堪えきれなくなってくすくす笑いだした。
「楽しかったね」
 体育祭はもうすぐ折り返し。ようやく、風が吹いてきた。了



はじめまして。富士川三希(ふじかわみき)と申します。
初めてのnote投稿。仕組みがまだあまり分かってないけれど、とりあえずやってみる。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます!

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