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”教養(Liberal Arts)”の授業用、「十字軍」に関するノート(5)

5.1. 第4次以降の十字軍

第4次十字軍(1202~1204)
・海洋都市国家ヴェネツィア共和国の支援を得て出発。
・ヴェネツィアが借金の代償としてコンスタンチノープルの攻撃求めため、 
 ビザンツ帝国の首都を攻撃し、ラテン帝国を樹立した。
・ラテン帝国は、約60年後ビザンツ帝国に取り戻された。

第5次十字軍(1218~1221)
・聖地へのアクセスを求め、エジプトへの攻撃を行った。
・エルサレムを返還するという講和条件を引き出すが、法王代理ペラーヨの
 反対により拒否。
・結果的に、より不利な条件の講和で引き返すことになる。

第6次十字軍(1228~1229)通称「無血十字軍」
・神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が、交渉によりエルサレム、ベツレヘ
 ム、ナザレスへのキリスト教徒の安全な巡礼を保障する協定を結ぶ。
・この成果は、ローマ教皇に認められなかった。

第7次十字軍(1248~1254)
・フランス王ルイ9世が指揮し、聖地エルサレムへのアクセスを求め、エジ
 プトへ遠征。
・大敗を喫し、ルイ9世はムスリムに捕虜になる。後に身代金と引き換えに
 解放された。

第8次十字軍(1270)
・再びルイ9世が率いて北アフリカのチュニジアに上陸する。
・疫病が蔓延し、ルイ9世自身も病死。弟が和平を結んで撤退。

十字軍遠征の終り
・1291年、地中海東岸の最後のキリスト教徒拠点アッコンの陥落。
・約200年に及ぶ十字軍の遠征は、その歴史に幕を下ろした。

5.2. 十字軍の影響

約200年に渡る十字軍遠征は失敗に終わるが、政治的、経済的、文化的に広範な影響をヨーロッパキリスト教社会に与えた。以下、簡単にまとめる。

5.2.1.教皇権力の弱体化
・聖地エルサレの奪回という目標の失敗は十字軍を呼びかけ、組織した教皇
 の権威を損なった。

5.2.2. 王権の強化
参加した王たちは信仰心深く勇敢な指導者と見なされ、その正当性と権力 
 を強めた。
・多くの封建領主が十字軍遠征費用を捻出するために土地を売却したりして
 衰退したので、相対的に王権は高まった。
・交易の拡大により富が王国に流入し財政を豊かにした。

5.2.3. 東方貿易の活発化

・多くの人や物資を運ぶ必要から、西欧からメソポタミアへの道が、陸路中
 心から海路へとシフトした。これが大航海時代への一歩、大きく変わるス
 テップとなった。
・キリスト教徒商人もムスリム商人も、収益を上げることを重視し、絹、香
 料等の高価な商品から、小麦などの生活必需品、はては軍需品までを取引
 した。その結果貨幣経済がさらに発展した。

5.2.4. 文化的影響と知的資産の活用

・古代ギリシャ哲学は、中世ヨーロッパキリスト教社会ではその知的資産を 
 活かす状況がほとんど存在しなかった。
・一方、イスラム国家はギリシャ哲学を受け入れていた。
・交易の活発化の影響で、古代ギリシャ哲学が逆輸入されることに
 なり、キリスト教の教義を理性的に理解し、解釈するための重要な手段と 
 なった。
・哲学のみではなく、医学・数学・天文学などの学問、農業・時計製造等の
 技術、幾何学模様のデザインや建築技術等、様々な文化・知的資産が逆輸
 入された。

第5回のまとめ

第4次以降の十字軍は、当初の目的から逸脱、失敗を繰り返して、最終的には1291年のアッコン陥落を持って終了した。約200年に渡る遠征は失敗に終わったものの、政治的、経済的、文化的に広範な影響をヨーロッパキリスト教社会に与えた。

これで連作投稿、”教養(Liberal Arts)”の授業用、「十字軍」に関するノート(1~5)を終了します。



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