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資産でなく、人生の充実の最大化を目指そう

相当売れたこの本からは、大きな影響を受けた。自分用のノートとして残しておく。

人生はテレビゲームとは違って、果てしなく高スコアを目指せばいいわけではない。

上述の高スコアとは、総資産を指す。節約し、高収入に憧れ、さらに副業までやる。よりオトクな買い物ができるよう、血眼で探し回る。そうすれば幸せなのだろうか?いや、そうではない。人生の充実度を最大化し、生きることの意義深さを強く感じることが、幸せにつながるのだ。お金は、そのための手段でしかない。

私の一番の願いは、この本を通じて、一人でも多くの人が、漠然と流されるように生きるのではなく、明確な目的と意図を持って人生について考えるようになることだ。 明確な将来の計画を持ち、同時に今を楽しむことも忘れない。 そんな生き方をしてほしい。

漫然とただ生きるのではなく、自分の人生を意義深くしてくれる対象を予め探索し、理解し、そこに投資すべきなのだ。私の場合は、家族、芸術、精神的な生活だ。そして全ての土台は、健康。体がなければ、不自由だし、喜びの感受性も下がる。これは現在不健康だから、身を持って知っている。

資産が増えるにつれてゴールポストも動き続ける。それは収入の量とは関係ない。

お金の最大化をゴールにしていると、いくら稼いでも引退できない。これはよく考えてみれば、自明だろう。総資産の上限値なんてものは、原理的には無いからだ。1時間あたりの稼ぎは、イーロン・マスクなど相当なものだし、彼からしてもまだもっと上を目指せるだろう(もっと多くの会社を同時に起業したり、保有各社の株主価値を上げていける)。
だが、人生の充実度は異なる。時間は有限であり、体はひとつだ。北欧と南米を同時に旅行できないし、コンサート会場にいながらして、サッカーの試合を直接観戦はできない。そもそも常に一つのことに集中しないと、得られる喜びが減ってしまう。

高額な終末医療に備えて多額の貯金をするのは大多数の人にとって現実的ではない・・・
生活の質がゼロに近い、人工呼吸器につながれた状態で数カ月を過ごすために、何年も余分に働いて貯金をしたいとは思えない・・・
人は皆、遅かれ早かれ死ぬ。 最後の数日、数カ月を生き延びるのに必要な医療費を貯めるために、人生の貴重な数年間を犠牲にしてまで働きたいと思うだろうか?

健康は大事だ。だがそれは、活動ができる程度の健康を意味している。認知症になり、老衰一歩手前の段階で、高額を使ってまで生き延びても、活動ができない。
もちろん、家族と最後まで過ごせれば幸せなのだろう。ただ、その期間を少しだけでも伸ばすために、若いときにお金を使うのを控えるのは、全体最適化の観点からは馬鹿げていると言える。

年齢を問わず、健康ほど、経験を楽しむ能力に影響するものはない。健康は、金よりもはるかに価値が高い・・・
あらゆる年代で、健康の改善は人生を改善する という

健康が先、金儲けその他の一切が後。これは40歳前後の時から、ひしひしと感じている。
興味深いのは、若い時から健康を改善し続けると、それこそが複利として増えていき、人生を楽しむ能力が増大する点だ。

時間をつくるために金を払う人は、 収入に関係なく、人生の満足度を高めることがわかっているのだ。

理由は幾つかあるのだろうが、ひとつには、やりたくないタスク(家事など)をやらずにすむので、ネガティブな経験を避けられることだけで、満足度が高まることがあるだろう。つくられた時間を有意義に過ごせるので、さらに満足度は高まる。

働きすぎは後悔しても、一生懸命に子育てしたことを後悔する人はいなかった。多くの人は、働きすぎた結果、子どもやパートナーと一緒に時間を過ごせなかったことを後悔していたのだ。

別の本では、幸福に最も寄与するのは、資産でも名声でもなく、濃い人間関係だという。損得なしの関係なので、仕事ではつくれない絆なのだ。

特別な何かをするにせよ、いつもと同じことをより楽しもうとするにせよ、残された時間が少ないと想像するだけで、学生たちは充実した時間を過ごせたのだ。

人生には終りがあるし、健康寿命もいつか尽きる。そして、それは統計的にいつ頃かも、国別や性別ごとなどで分かっている。それを常に可視化していれば、それだけで人生の満足度が上がる。
自分の人生計画を書き出すことでも、寿命を意識することができるだろう。

大胆な行動を取れば、心理的に良い影響が生じる。たとえうまくいかなくても、意義ある目標に挑戦したことを誇りに感じられるはずだ。

挑戦そのものから、報酬が得られる。成否は問わない。ただし、失敗すると致命的な場合は除く。


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