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すこやかな地域経済を探求する。

Community Based Companies Forum NAGANOというフォーラムに参加しに長野県立大学へ。京都、鹿児島に続き3回目の開催。

2つの基調講演に参加することができたけれど、全体を通した「すこやかな地域経済を探求する。」というテーマが理解できた。

勘違いしていたのは、最初「地域経済のために自社ができること」というような文脈で最初テーマをとらえていたこと。

実はそうしたテーマにはあまり興味が持てていなかったのだけれど、決してそうではなくて「環境と自分は分けることができない相互作用する存在」であるからこそ、自分個人のため、自社のためにもすこやかな地域経済について探求する必要があるということ。

そう考えると、自分が日々取り組んでいることは、環境に作用しようとしながら、同時に自分に作用することなのかなと思った。

以下、本当に独り言のようなメモ。

客観的であることが正しいとされ、再現性があること、論理的であることがある種脅迫的なビジネスにおいて、果たしてそれが正しいことなのか。

客観的であるからゆえ、多くの人に届けることができる。主観を排除して細分化し、論理立てしてきたから多くの人が活用できるようになる。それが科学だろう。

しかしながら、主観を分離して排除すること、軽視することで起きる問題もある。

売上や決算書という数字は客観的で合理的に説明が可能であるけれど、その売上を構成するのは主観的な感情であるべきこと。

営業とはお客さんの困りごとを解決すること。自社で役に立てないようであれば他社も紹介する。お客様との信頼関係ができればそのうち売上という客観的な結果に返ってくる。しかし、その客観的な結果を支えているのは主観的な感情であること。

自分の仕事はどこまでの範囲で何を達成すれば評価されるという客観的な基準は示されたうえで、直接的には評価されない仲間をフォローする主観的な行動がなければ、組織は崩壊に向かう。「落ちているボールを拾う」という総務の役割はまさにそれだろう。

客観だけでも主観だけでもうまくいかない。そもそも客観と主観を分けることに意味があるのか。というか主観と客観という切り口が妥当なのか。

環境と自分はわけることができない相互作用する存在であること。
それはコンサルティングの現場でも重要な観点である。
利己的であると、自分の経験と知識が先に出てしまい、相手の思いを汲んで最大限の成果を得ることができない。
利他的であるからこそ相手に没入することができる。自分の持っている知識や経験を相手の中に没入させて開くからこそ、今までになかった成果を得ることができる。それが一つのイノベーション「新結合」だろう。

支援の現場で、利他的であるということは自信がなければできることではない。事前に用意されたもので相手を支援するのではなく、相手の状況、今、ここの感情に合わせて最良の引き出しを開ける。

だからこそ、支援する側と支援される側という関係ではなく、その間の不安定な状況に身を置く必要がある。

自分は支援する側だ、支援される側だと立場を決めた方が楽。それは安定するからだ。
楽なのだけれど、気持ち悪さが残る。自分は支援者という立場だけではないという割り切れない感情が残るから。
不安定な状況というのは、ごく自然な状況。
今、この瞬間というのは動的であって、複雑であり、とらえにくいもの。
それを瞬間的に切り取って分かりやすく表現すると安定するし楽である。その一つが繰り返しになるがわかりやすいのは決算書だ。
この会社がいい会社かどうかを決算書だけで判断するのは、判断する側にとって楽で安定する。
しかし、それは会社を評価することに対して自然ではない。

切り取ること自体を否定するのではない。切り取らなければ認識できないこともあるし、伝達することもできない。しかし切り取ったものがすべてだと考えるのが行き過ぎた効率性であり、あるがままに物事を見ることができていない状態である。

切り取ったものの背景にも心を配らせること。それが自然であること。変化することが普通で当たり前。変化している自分にも気づくこと。
今を大事にすること。それは、動いているからだ。

こんなにがんばったから黒字になった。
その「こんなに」が主観であり無視できない感情。その感情が蓄積してふとした不満によって爆発する。

環境に自分が作用され、自分も環境に作用する。その環境も自分も不安定なままとらえること。

経営哲学を聞き取り、相手の事業に没入することも大切。その哲学が事業に反映され集中できる環境を整えることも大切。結果として出てくる数字をモニターして環境を再構築するのも大切。

当たり前のこと。
当たり前のことをそのままにとらえて自然に求められる支援をすることがいかに難しいことか。
細分化して切り取り、部分的にしか支援しないことの方が楽で安定する。

うちだけで全てを支援する必要はない。関係する仲間、地域、それこそあらゆる環境をとらえて支援する。
支援する?作用するの方が対等でいいのか。

そんなことがでかいうつわでできたらいい。
でかいうつわ自体があやふやで不安定なあいだの存在であればいい。

社会のうつわをでかくする
会社のうつわをでかくする

そんなことを考えてたら大阪に着いた。
取り止めもないメモだけれど、ふっと自然に腹落ちしたことを書き留める。


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