神様からのお告げ

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「…あなたはもっともっと、自分自身のことを、どこかに書き連ねなければなりません」。

ある日、とある神様から、そんなお告げがあった。僕はそんなお告げに従ってみることにした。

僕は熊本という地で、なかなかブレイクしない、なかなか刹那い雑貨店をやっていて、つい先日45歳になったばかりだ。店にはいくつか決まりがあって、ひとつは必ずや自分のアンテナに響いたものしか置かないこと、ひとつは編集ライターとしての自分のちからをなんとか発揮しながらお店を展開していくこと、ひとつはできるだけさまざまなカルチャーを共有しながら運営してゆくこと、くらいだろうか。あ、できるだけ子どもという存在を邪険にしない、なんていうのも、あるにはある。まあどれもそう簡単に行かないことだらけだけど、そんなお店も気が付けば、もう6年ほどになる。

だいたい、なんでこんな店を始めることになったのだろうか。

「驚くことに、そもそも、僕はこんな店を始めるつもりなんてまったくなかったのだ。」

なんて物言いを、昔からしてみたかったことは、たしかにここで認めてしまおう。ほら、よくあるじゃないですか。ミュージシャンでもなんでも、昔からまったくそうなる気もなくて、たまたま成り行きでそうなってしまったんです、なんてさらりと言い切るカッコよさ。たぶんあれ、ほとんどがウソな気がするけど。しかもなんの分野にせよ、はっきりとした意思としっかりとした目標意識とあからさまな成り上がりバズ意識が確かにそこに無いと、どうやらのしあがれないこの2019年という時において、そんなドリーミーで無邪気なたまたま話なんて、もはやとうの昔な気もする。んだから、ブレイクスルーできねーんだよ、という内からの声にはひとまずいまは耳を貸さない。

ああ、でも、自分の場合はそれは本当の話であり、東京で長く編集ライターを経験して、この熊本に帰ってきて数年また編集の仕事をやって、その後はちいさな飲食店でも開くつもりだった。が、ちょうどその頃、いまの奥さんと出会ってしまい、我が部屋に詰め込まれたそのあまりにラヴ溢れんばかりのモノモノモノのすべてを垣間見た彼女は「…絶対、あなたは雑貨を売ったほうがいいわよ」と鋭く言い放ったのだった。現在は足ツボと整体マッサージ師である彼女だが、じつはその前大手の雑貨店のマネージャーをやっていたひとだ。「買うこと自体を好きなひとじゃないと、ほんとの意味でモノを売ることはできない」という、その裏には彼女なりの信条があったようである。果たしてそれが正しかったのかどうかは、まだわからないわけだけど。

でもとにかく、それから僕らは借金をして、それを時に減らし時に増やし、あっぷあっぷしながらもなんとか日々を生き抜いている。

(写真はその当時の部屋にふらりと遊びに来た猫)


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…冷蔵庫に冷えた和風のだしがあった。めんつゆじゃない、案外きちんとした出汁。僕は何かを思い出した様に、おもむろにそばをうでる。出汁には多めのしょうゆを入れ、そこにオリーブオイルを入れる。出汁の表面にうっすら浮かぶ油の膜が美しいや…などとほざいてると蕎麦がうであがり、ざるにあげてはきっぱりと水で洗う。と、ここで麺を軽くちゃっちゃと水切り気味に振って終わらないのが、最近の自分の立場だ。麺をざるにぎゅっぎゅっと何度か押し付けては柔らかく絞る。それはまるで美容師が髪の水を絞るかのごとく。これがまぁ、案外驚くくらいに水分が出てくる。以前、ラーメン屋のプロに教わった術である。なんてひとりごとを思いながらその術を済まし、麺を出汁に浮かべ、そこにちょうどたくさんあったカボスを輪切りにして浮かべる。そういえばもう消えて無くなったとある店に「冷やしぶっかけイタリアーノ」という冷やし蕎麦があった。ふうむ。朝から思い出した何かというのは、あの蕎麦のことだったのか。



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