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データ分析の”あたりまえ”について考えてみた

あたりまえなことって何なんだろう

先日、目的無きデータ分析は無駄であるはあたりまえである、という話を複数見かけた。なるほど確かにあたりまえだと言えばたしかにそうなのだろうが、ふと「ではデータ分析の”あたりまえ"って何だろう」と疑問に思ったので、つらつらと書いてみる。

長いし全部に繋がりがあるわけでもないので適度につまみ食いしてもらえればよいかと。

データ分析の”あたりまえ”なことってなんだ

自分が”あたりまえ”と思っていることはなんだろう

・データ分析は「次にどうするか」の意思決定のために行う
・未来が100%確実に判るなどということはまずない。できるのは不確実性を下げる試みだけだ
・データ分析は目的の決定から始まる一連のプロセスである
・目的無きデータ分析は無駄(これは書いた)
・汚いデータはいくらいじってもだめ(ガベージイン・ガベージアウト)
・インフォメーションとインテリジェンスは違う

他にもいろいろありそうだけど、とりあえず5分で思いついたのをいくつか挙げてみた。多分このぐらいなら大体みんな賛同する話なのではないかな、と思ってるがどうだろう。

そのあたりまえはどうやって身に着けたのか

さて、ここからが本題。"あたりまえ”ということは「みんなが理解していて当然のこと」なわけだが、ではその”あたりまえ”はみんなどうやって身に着けて来たのだろう。

データ分析を体系的に学ぶのにこれらを使えばいい、というような書籍や教材は未だにほぼないので、入った会社に偶然良い文化があってそこで先輩に教わったり自然に身に着けたのかもしれないし、自力で気づいた人もいるだろう。しかしどれぐらいの割合なのかはさっぱりわからない。

そこでTwitterでアンケートを取ってみた。当然のことながら選択バイアスまみれなのでそのまま数値を真に受けるわけにはいかないが、結果はこの通り。

どうやら、ほぼ自力(書籍も多分自力という意味だと思われるので)ということのようだ。

ここでは「自分が思っているあたりまえをどうやって身に着けたか」を聞いているが、中身まで聞いたらまたみんな違うことをあたりまえだと思っているのでは。

”あたりまえ”な事を各自が自力で気づかなければならないのはいいことなのか

データ分析の手法やプログラミング(データ分析プロセスにおける処理に当たり部分。プロセスの詳細はいずれ別記事にて書く)についての情報は非常に充実しているが、一方でそれ以外の考え方などについてはほとんど存在していない、という状況は20年前から大きくは変わっていない。

なのでここ数年でデータ分析の実務者は急激に増えているがやはり苦労している人は多いようだ。参考にできる人も書籍も無いのだから仕方がない。

するとその中から自力で学んで”あたりまえ”を身に着ける人も出てくる一方で、”あたりまえ”にたどり付かずに効率の悪いこと、あるいは間違えていることをずっと続けていく人もいるだろうし、導かれれば進んでいたのにこの道をあきらめる人も出てくるだろう。果たしてそれでいいのか。

苦労して自分で考える方が身につくという考え方もあるだろうが”あたりまえ”の再生産は本当に必要なのだろうか。学ぶべきことが体系的にまとめられていて、そこから学ぶ方がよいのではないか。

それとも、体系的にまとめられたガイドも存在せずに各自が自力で気づかなければならない現在の方が良い人材が育つのだろうか。

社会全体で考えた場合、前者の方が良さそうな気はしているが、そんな気がするだけで根拠はない。

良い会社に偶然入った人だけが身に着けることができる”あたりまえ”でいいのか

身に着けた人の多くは自力で身に着けているが、例外的にデータ分析を使いこなしている企業に入った人はその知識の蓄積の恩恵を受けられる。

それは別にデータ分析に限る話ではないが、それがもし”あたりまえ”なことですら環境の良い会社に入って偶然良いチームや先輩に恵まれなければ身に着けられないのだとしたら問題ではないだろうか。

もしかしたら順番が逆で、そういった環境でないと必要ないということなのかもしれないけど。

誰かにとっての”あたりまえ”は、他の誰かにとっての”あたりまえ”ではないかもしれない

ある人が”あたりまえ”だと思っても、別のある人には”あたりまえ”ではないかもしれない。”あたりまえ”のことを言っていると見下したつもりで、もっと簡単なことを知らずに別の事については逆の立場になるかもしれない。

なので自分が”あたりまえ”だと思うから相手もそう思うだろうとか、自分の知っている”あたりまえ”を相手が知らないから下に見るとか、自分が”あたりまえ”だと思っていることを語っている人を馬鹿にするとか、とにかくそういうことを思ったり口に出したりしないようにしよう。

と冷静な時は思うことはあってもいざとなるとついやってしまう。精進が足りない。

何を言ってもダメになる前にそうならないようにできないのか

何を言っても自説にこだわってダメな人はいる。しかし、ダメになる前にもし違う知識を持っていたらそうはならなかったかもしれない。

最近の”あたりまえ”はたまたまそういう時期に生きているから身に付いただけで、10年前だったら「何を言ってもダメな人」の仲間だった可能性はあるし、もう10年経ったら「そんな”あたりまえ”のことも知らないのか」とどこかで言われていてしかも当人は気づかない、なんてこともあるかもしれない。

明治の元勲が携帯電話を使っていなかったから愚かであるとは誰も言わないだろう。

何が言いたいかというと、もしかしたら知らないだけかもしれないので”あたりまえ”でもまずは言うだけ言ってみて、それでもダメならその時に考えればいいのではということだ。

受け入れずに被った不利益にはしかるべく責任は取ってもらうとしても、誰も何も言わないのに「何を言ってもダメ」は不公平だと思う。

他人のことを変えられるなどというのは単なる傲慢か勘違いでしかないだろうが、自分で変わることが出来る人に対して何も言わないのはやはり損失ではないだろうか。

あたりまえだがあたりまえの話は一度聞いただけでは身につかない(超すごい人は除く)

あたりまえの話だが

・あたりまえなことを知っている
・あたりまえなことを理解している
・あたりまえなことを実行できる
・あたりまえなことを実行し続けている
・あたりまえであることが身についている

ではまったく段階が違う。多くは知っているかせいぜい理解に留まるだけだが、口で語るならそれでも十分なので区別がつかない。

そして、知ってから身につけるまでには長い時間がかかるし、その間にも忘れたり疎かになったりしてしまうので”あたりまえ”なことを何度も繰り返し事ある度に思い出す必要がある。

なお、一度聞いてすぐに身につくような超すごい人はいるかもしれないが多分そういう人はこんな話に興味はないと思うので考慮していない。

「そんなことあたりまえ」だと思ったことの大半は身につくどころか理解もできていない

人の話を見聞きしていると「そんなことあたりまえだよね」と思うことはよくある。

ところが、その”あたりまえ”が身についているどころか実行することもできず、それ以前に同じレベルで理解しているかというと大半の場合は全くそんなこともない。

しかも”あたりまえ”だと思っているその時には気づかずに、実際にその”あたりまえ”なことを実行しようとした時にようやく気付く。

いままで何度同じことをしてきたかわからないし、いい加減になんとかしたいのだが、やはりその時になるとつい「そんなことあたりまえ」とつい思ってしまう。戒めなければならない(と、いうことすら忘れがち)。

話を聞かない人と、超すごい人以外にはあたりまえなことを言い続けることは必要なのでは

何を言ってもダメな人と、全ての”あたりまえ”なことを自力で見つけて身に着けられてしまうような超すごい人はさておき、この間にどれぐらいいるかわからないが、何度も言われることで少しづつ理解が進み、その時実行したり忘れたりを繰り返すことでやがて身につく人がいるはずだ。

間違いなく自分はその中にいて、大抵のことは「知っている」からようやく「理解している」に少しづつなってきた、というところだと思っているが、それでも大分怪しい。

なので、事あるごとに”あたりまえ”なことを言い続けることはその間にいる人にとっては悪いことではないと思う。ただし、間違っていることでなければの話だが。

書いて発信することは自分にとっては損ではないが、読んでいる人には迷惑なだけかもしれないという不安

自分の理解を進め、頭に留めておくためにも”あたりまえ”ことを言い続けるのは自分にとっては損になることは決してない。たとえ間違っていたとしても間違えに気づいて修正する機会を得られる。

が、これは読んでいる人にとってはもしかしたら迷惑極まりない話かもしれない。”あたりまえ”でないことを”あたりまえ”と言っているかもしれないし、それ以前に間違えているかもしれない。

”あたりまえ”な話に限らずあらゆる情報発信に言えることだろうからまた別に考えたいが、発信している人はみんなどう考えているのだろう。

誰も発信しないなら”あたりまえ”でも情報発信し続けようかと思ってる

データ分析の話とそうでない話がごちゃまぜになりつつ”あたりまえ”で思いついたことをひたすら書いてみた。全然まとまっていないというかまとめるのは途中であきらめた。

それでも無理やり結論だけ言うと、「あたりまえだろうがなんだろうが取り合えず書いて後の評価は世の中にお任せする」ということで、それって今までと変わらないような気もするがまぁいいや。

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