見出し画像

データ分析は決定に先行していなければならない、はずなのにそうなっていない気がする

決定より先にないデータ分析は無意味

データ分析は意思決定のために行う。ということは、すでに決定が下されていて変更の余地がないのであれば後でデータ分析を行っても意味がない。

そのはずだが、PDCAを回したりKPIを決める際に、「事前」に「片手間」ではなく「専門の能力」を持った人に「リソース」を割り当てて「データ分析」をさせているという話はあまり聞かない。

もしかしたらそんなものは必要無いのかもしれないが、自分がもし決める立場になったら必要ないなどということは思うことは多分ないのでやっぱりやってないのではなかろうかと思っている。

PDCAのPのための分析が行方不明

PDCAは最初に書いてあるPありきと思いがちだが、企画を行うためには市場、顧客、競合といった様々な情報を事前に把握しておくのが普通だろう。それはデータ分析であり本来ならそのPを決めるためのデータ分析が先に行われているはずだ。

もしかしたら日本の不動産情報に「室内は土足禁止なので玄関で靴を脱いでください」と書く必要がないのと同じで当たり前だからあえて言わないだけなのかもしれないが、おそらく違う。単に抜けているだけではないだろうか。

分析をやっている場合でも専門的なスキルをもっている人がやっているというよりは、訓練を受けたわけではない人が独学で身に着けた方法で、自分であちこちからニュースやデータをかき集めてきて決めるというぐらいなのでは。

それはたしかにデータ分析ではあるが、たまたまできる人がいれば良い結果になるというだけで組織としての力にはなっていないのではないか。

KPIを決めるための予測はどこにいったのか

KPIについても決めたらどう運用するかは話題にはなるが、PDCAと同様にKPIを決めるための予測、つまりデータ分析について語られることは非常に少ない。いったい何を根拠に決めているのだろうと思うことはしばしばある。

もちろん完璧な予測などありえないし、立ち上げたばかりのプロダクトでは予測したところであまりあてにならないのはたしかだが、だからといって根拠が何もなければ何となく決めた数値でしかなく目標としてふさわしいかもわからない。

KPIが一番よく聞く言葉なのでここでは使っているがここはKGIとか何でもよくて、将来の目標を決めるためには先に予測(=つまりデータ分析)が必要で、それは簡単に出来ることでもないのにどうしているのだろうか。

振り返るだけの効果測定ならやらなくてもいい

それから効果測定は何かをした後にその施策を振り返るために行うと考えている人は多そうだが、これも本来の分析の使い方ではない。

分析は次の施策をどうするかを考えるためにやることに価値があるので、単に振り返るだけでいくらナレッジをため込んでも次につながらないのであればやらなくてもいい。ナレッジはあった方がいい、というのはその通りではあるので余裕があるならやればいいとは思う。

「今のキャンペーンを続けるか、止めるか」「他のキャンペーンに切り替えるか」「担当者の実績を調べて査定使いたい」など何でもいいのだが、とかく次にどうするかを考えるためなのかか振り返るだけなのか、それが効果測定が役に立つかの分かれ目だろう。

先に知るということへの意識が欠如しているのかも

以前から疑問に思っていたことをひたすら書いてみた。日本でデータ分析がいまいちどころでなく浸透しない原因はいろいろあると思うのだが、その根底にあるのは何なのだろう、と以前からの疑問に最近1つの仮説が思いついた。

それは知るということへの意識が低い、あるいは簡単に出来ることだと思っているのではないか、ということだ。

これは歴史的に見て外国や多民族との接触が少なく脅威にさらされなかったことに加え、狭い国土でかつ山がちなために移動経路が限られていたので索敵の必要性が低かったこと、似たような背景の人達の集まりの中ではあえて知る努力をしなくても分かり合えることが多かったことなど様々な事情がありそうだ。

これは簡単に結論の出る話ではなさそうなので引き続き追いかけていきたいテーマだが、どこかで研究している人がいたら是非教えていただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?