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追儺式

こんばんは、
守護神鑑定師の龍月。です。
今日は都農神社追儺式に行ってきました。

追儺(ついな)とは…
大晦日(旧暦12月30日)に行われる宮中における年中行事です。
鬼(疫鬼や疫神)を払う儀式、または民間で節分などに行われる鬼を払う行事です。
大儺(たいだ、たいな)、鬼遣(おにやらい。鬼儺などとも表記)、儺祭(なのまつり)、儺遣(なやらい)とも呼ばれています。

節分追儺神事の後に追儺弓神事があるんですが、節分追儺神事が行なわれている間に多くの人が…
福豆撒きの場所取りなんです。
神事に関係なく、参拝もせずに場所取りって…
節分追儺神事中は本殿前にいたんですが、参拝される方をニンゲンウォッチしてました(笑)
いやぁほとんどの方が参拝方法を知らないんですね。
動画を撮ってアップしようかと思いましたが、やめました。

追儺神事の最後は御火焚き神事です。
竹の先に付いてるのは福餅です。
御火焚きの火で福餅を炙っていただくんです。
が、火に直接当ててしまうと焦げてしまいます。
これが結構難しいのか中には焦がしてしまってる方もいました。

御朱印もいただいてきました。
奥宮の瀧神社も一緒に。
令和二年二月二日の2続き。

最後に…
なぜ節分に豆を撒くのか?

豆をまくというのは、かなり昔からある風習の一つです。
この起源は、何と1000年以上も前にさかのぼるのです。
まず、豆まきの前に節分について説明しておきましょう。
節分とは、現在は2月の3日か4日のことです。しかし、もともとは春・夏・秋・冬の区切りの日のことをいっていたのです。
つまり、節分は年に4回あったのです。
ところが、年に4回ある節分のなかでも、冬から春になるときが一番大事な節分だったようです。
昔は、冬が終わって、春が来る日を一年の始まりと考えていました。
つまり、2月の最初の節分に行なう豆まきというのは、大昔の日本の一年のしめくくりの行事だったんです。
また、豆には鬼を退治する効果があると信じられていました。
昔の人は、病気はすべて鬼のしわざと考えていました。
そこで、悪いことをする鬼が来ないようにと願って豆をまいたというわけなんです。
つまり節分の豆まきは、一年の最後の日に鬼を退治して、新しい年をむかえましょうという、昔のおまじないのようなものだったんです。
それが今でも残っているんです。

《柊鰯》
節分でいわしを食べる風習「柊鰯(ヒイラギイワシ)」について…
柊鰯とは、節分の際、焼いたいわしの頭にヒイラギの枝を指したものを玄関に飾る風習のことです。

[由来は魔除け・厄払い]
いわしを焼くときにでる煙と強い臭いで邪気を追い払い、尖ったヒイラギで鬼の眼を刺すという魔除け・厄払いの意味があるといわれています。
またいわしを食べて体の中の邪気を追い払うという理由もあるようです。

[節分でいわしを食べる地域は?]
節分にいわしを食べるのは主に関西地区などの西日本が中心らしいです。
一部、関東や福島などの東北でも見られるようですが、一般的ではないようです。

《恵方巻》
恵方巻きは、江戸時代から明治時代にかけての大阪の花街で節分をお祝いしたり、商売繁盛を祈ったりしたのに始まったといわれています。花街で商人や、芸子たちが節分に芸遊びをしながら商売繁盛を祈り、食べたようです。
名前も恵方巻きという名前ではなく、「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」と呼ばれることが多かったようです。
「丸かぶり寿司」も「太巻き寿司」も七福にちなんで、7つの具を入れて巻くので、7つの具を入れるのが基本になったようです。

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