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生きるための博打を生きるために⑧

 生きるための博打を生きるために始めた2022年、さらにいえばルールを確立した12月の1か月で原資10倍を突破した。
 
 博打/投資経験者からすれば「クソみたいな嘘」と一蹴されることだろうが、その通り大嘘という事にしておいた方が無用のトラブルも避けられるので、「それではフィクションという事でよろしく」というところだ。

 そう、もちろんフィクションだ。思春期の、そういうお年頃のキッズが妄想したストーリーより薄っぺらく・嘘くさく・ひどいフィクションに過ぎない。一言でいって「馬鹿げている」——それが現実だ。
 
 ともあれ、ド博打を始めて以来、また新たな物事についての気づきを得ることができた。

 なかでもうれしかったのは、「なぜ真正の、そして博才のあるギャンブラーに限って金銭管理ができないのか」肌で理解できたことだ。

 それは、「真に博才のあるギャンブラーはいつでもその気になれば博打に勝てる(と思っている)ので、カネが無くなることなどなんとも思わない」からだ。これに尽きる。
 
 詳細は省くが、ホンモノのギャンブラーは本当にカネを何とも思っていない。それを「破綻者」と見るか「カネのしがらみから解放された自由人」と見るかは人それぞれだが、とりあえず私は自分にとって音楽と文学の関係がそうであるように、「コインの表裏のようなものではないか」と捉えている。

 少なくとも確かなこととして、真正のギャンブラーはカネのことなど何とも思っていないからこそ狂った大金を手にできるし、またその逆もしかり、ということがある。

 彼ら彼女らにとって、カネは天から降り注ぐものであり、だから無造作にザルを差し出す対象でしかない。

 そこで・・・私は底に穴の開いていない、いいや底無しに業欲な地獄の大釜を用意した。

 2023年、この地獄のド博打がどうなるか、目が離せない。
 無論すべてはただのフィクションだが。

 GhostGoldの音楽もよろしく。というかそっちがメインだ。

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