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日記 - そして僕らは

近くのカフェにて、涼みながら日記を書き始める。

日々すぎていく小さな気づいた景色について、書き残しておきたいという気持ちが、この数日にとかく湧いてくる。

昨日の朝のことだ。4時半頃に、目が覚めた。どうやらMaiも目が覚めたようだった。
僕は夢現の感覚でいた。何かがいつもと違うと感じられた。うっすらと空いた瞼には、朝焼けの柔らかな光が見えた。

とにかく鳥の鳴き声と、虫の声が、凄まじい明瞭さで、聞こえるのだ。
その時、夢現の中で、僕は鳥や虫たちが大合唱している草むらの真ん中に、ポーンと放り出され、鳥や虫はもちろんのこと、近くを流れる川や風たちも、僕に向かって"顔"を向けて、声を発している、そんな景色が見えていた。

大きいというより、とにかくみんなの存在が近く、一つ一つが明瞭に聞こえるのだった。

僕は、そのまま微睡み、再び眠りについたが、その時の音をMaiは、録音していた。後から、録音を聴いたら、確かに、普段よりも圧倒的に、たくさん音が入り乱れていることは確かだった。

けれども、どうにもあの超現実的とも呼べる自分が内側で感じていた感覚とは、乖離があった。

音楽を作ったり、深い瞑想状態にいる時、目の前の景色が、普通の太陽の光で照らし出されているだけでも、圧倒的な美しさを持って迫り来ることを何度も体験してきた。

そして、いつもその解像度で、世界を感じていたいと思っている。

この朝も、また、自分の感覚の蓋が、思考や、理性に、蓋されることなく今ここになっている響きをそのまま、感じていたのだなと、思い、明日もこの時間に目覚めたいと思った。

まだ、朝のことだ。その大自然の大合唱を聞いた、2時間くらい経った頃だろうか土砂降りがやってきた。
また僕は、その音で、目が覚めた。本当に空で巨大なバケツをひっくり返したような、怒涛の土砂降りであった。

その音を、聞きながら、僕は、なぜか、雨は祈りだと思っていた。部屋の中で、水に濡れることもなく、しかし、僕は滝のような雨にうたれ、身体は藻屑のようになって、隅々まで洗い流されていく。

どのくらいの時間が過ぎたか、わからないが、雨は弱まり、藻屑となっていた僕は、渦を巻いて、また一つの身体へと形成されていった。

それらが、一晩のことに起こったということが、今もうまく信じられない。
あの透き通った鳥と虫の大合唱と、怒涛の雨。

そして、この日は、その後はうってかわって、凪のような1日であった。
不思議な満ちた感覚のまま、ある意味で、何事もなく、朝の雨と曇り空のおかげで、一日中涼しく、呼吸をしているだけで心地よい空間が広がっていた。

あの僕の耳元で、頭上で、高らかに歌い上げる鳥たちは、何を歌っていたのだろう。

この朝の感覚を、忘れたくないなと思う。


美しの灯火が立つ夜に
浮かぶ小さな子守唄
久方ぶりに出会う旅
人の姿に微笑んで
外はこれから夏となる


そして、この4年間で起きたこと、について、自分の中で、新たな視点が芽生えていることに気が付く。

この4年の間で、コロナ禍があり、同時に私たちにとって初めての子育てがスタートした。0歳の娘と共に、過ごした、この4年間について、おそらく私たちが歳をとった時、戦争時代を体験した祖母や祖父が語るように、コロナ禍という人類史上においても類まれな状況を体験した話をする様子が浮かんだ。

私たちは、今を生きる人間として、歪んだ現実の接面に立ちながら、その歪みをそのままに、その渦中を通り抜けるしかない。然るべき時が立って、初めて、その歪みが、歪みとして、認知されていく。

コロナ禍という時期について、そして同時に、私たちにとっては、家族が、3人に増え、住む場所も変わり、あらゆる前提が揺らぎ、崩れていったものもあった。

そんな中を、よく、ここまで、やってきたなあと、夕暮れ時に、娘を迎えにいく前に、Maiと言い合った。

そして僕らは、いつもの笑顔と姿で、帰ってきた娘を迎えた。

何とも言えない涙が、伝う。
それは"僕"の涙のようでいて、世界の涙だった。
土砂降りの雨が、無数の涙の集まりだとしたら。
雨は祈りだ、と藪から棒に思った僕もまた的外れではない。
24時間365日、続いていく、この生きるという営みの言葉にしようのなさを、ここの言葉たちが描く余白に聞いてみてくれたら嬉しい。

こんな気持ちになったことは、かつてなかったようでいて、
何度も、無数に味わったような気がする。

夕暮れ時、昼寝から覚めた娘と公園で遊んでから、「今日はラーメンとかどう?」とMaiからメッセージがくる。

僕は最高の提案だと思って「イエイ」という。

近くのラーメン屋が、こうしてやっていることに、何か心満ちるものがある。言ってみれば、何の変哲もない普通のラーメン屋かもしれない。
この日の僕には、全く最高の場所であった。

店内に入って、注文を終えると、娘の幼稚園の同い年の友達家族が入ってきた。

二人は嬉しそうに、声をかけて遊んでる。

腹が減っていたので、僕は、さらりと豚骨ラーメンを平げ、餃子を4個食べた。

夕焼けが空をピンク色に染めた。
ラーメン屋の窓から、その景色を、二つの家族は見た。
そして、Maiがいった。
「空が綺麗って言ってて、空って名前にしたんだよ」
そう、空が生まれて7日目の朝か夕暮れか、ずっと薄暗闇にいた僕らが、初めてカーテンから空を見た時、空があまりに綺麗で、「空綺麗」と僕が言った。
その響きをきいたMaiが「空」って名前いいんじゃないと言った。

そして、名前のない7日間は終わって、僕らは、娘のことを「空」と呼び始めた。

あの日の空と、この日の空が、どこかで、世界の不思議を通じて繋がっている。







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