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掌小説 「夢の回廊」

written by Shinta SAKAMOTO

Date 約10000年前
Place Somewhere on Earth


茂みの陰から、現れた人が、ホウであることを思い出すまでに、ほんの束の間、一群の風が、ススキを揺らした。
オポノは、落ちていた木の実を拾うことをやめ、ホウの方を向いた。
その顔には、ほのかに笑みと呼べるような。うっすらとした表情の変化が見えた。
ホウは、開けた草原にでたところで、出くわしたオポノのことを見つめながら、古い記憶の角質から穏やかな声が聞こえる数秒の至福を感じていた。
「ホーウポノオポロイカ」
と、ホウは、その穏やかの声が通り抜けるがままに、口から音を発した。
それに応ずるかのように、オポノが、今度は、
「オーポロノコロイカ」と、ボソボソと行った。その声は、空気を揺らす音としては、ホウに聞こえることはなかったが、ホウは、遠くからオポノの感じていることを、同じように感じていた。
この時代、人々の間には、共通の言語というものは存在せず、言の葉と呼ぶにふさわしい、口から葉っぱが出ているように、それぞれが一つの言語体系をもち、それをそのままに響かせるだけであった。それは、むしろほとんど全てのことが互いにわかるほど、一体感のあるコミュニケーションであった。
オポノが、奥の栗の木の方に向かうと、ホウはかけだした。
「フワーホロホロ!」
二人は、夢中になってクリを拾う。ひらけた草原に一本だけ大きな栗の木が立っていた。
彼らは、数十個の落ちていたくりを拾ってしまうと、立ち上がり、ぼーっと辺りを見渡した。
二人はほとんどシンクロするように、示し合わせたように同じ時に立ち上がり、辺りを見渡していたのだった。そのことに気づくこともなく、ボウッッッと山の向こうから音がしたと思うと、二人は音が鳴る方角に向けて駆け出した。
石は、自ら彼らをよけ、彼らの背後から追い風が起きたと思うと、ピョーンとジャンプしたオポノをほんのり持ち上げ、木陰から自らの食糧を探すリスが、木の枝を蹴ったと思うとそこにできた隙間にホウが頭から飛び込み、済んでのところで尖った木の枝はホウの肌を避ける。
彼らの目には、自然が勝手に彼らが進むべき道を動いて、開けているように感じ取られ、一体感の中で、彼らは、山の麓まで一気に駆け抜けていった。
彼らが走り抜けたその後には、風が吹き、いくつかの花の種が、ふわっと微風に乗ったと思うと、次の大きな上昇気流を掴み、思わぬ高みまで、飛んでいったのであった。
また、土の上では、踏み潰されたバッタを、蟻たちが一気に巣へと運び、蟻たちの食糧となった。
山の麓から、彼らは、誰かがかつて歩いたであろう道なりに、飛ぶように走っていった。その音が意味することを彼らは、思い出しかけていたが、そのことに気が向くほど彼らの身体は、暇ではなかった。鋭い感性の糸が全身に張り巡らされ、一瞬の風の揺れが伝える実況中継を聞き逃さなかった。
彼らが、その小高い山を、誰ぞかがつけた無数の足跡の痕跡としての道をぬけ、音が発された現場に着くまで、さして時間は掛からなかった。彼らにとって数時間、夢中になって走ることはなんでもないことだった。全身には、隅々まで、酸素が行き渡る深い呼吸の中に生き、何より、彼らには迷うという概念が存在しなかった。
音がしたところまで、もう数十歩で着くところまできた。ホウとオポノは、目を輝かせて、互いを見た。
「ユーハーゴーノーミーテーキュー」
と急に表情を落として、いったのはオポノであった。
彼らの前には、大きな穴が、空いていた。
黒い穴が、時折出現することを、彼らは知っていた。それが出る時の音についても、熟知していた。彼らにとって、その黒い穴が出現することは、とてもとても面白いことであり、その穴は、必ず、彼らをある場所へと連れて行き、そして、連れて帰ってくるのであった。
陽が傾き始めていた。
黒い穴は、山の地面におそよ直径3メートルほどの大きさで、出現していた。それは、真っ黒であり、光は、全くその中に入ったら帰ってこれないということがよくわかる。それを見ていると、自分の瞳の中にさっきまであった光がどんどん吸収されて、何も見えなくなっていくような感覚を呼び起こさせた。ホウとオポノにとってその黒い穴を見つめているときに、感じるものは、彼らの普段の暮らしの中では決して起きないことであった。
だからこそ、それらは、彼らにとって格好の好奇心の対象でもあった。
「フオォオオーイ」とホウが、黒い穴の表面に顔を近づけながら、声を上げた。
その声は、一瞬響いたかのように聞こえたが、黒い穴に吸い込まれるとスンとその存在を無にして、どこか別の空間に一瞬で連れ去られてしまった。
二人は輝かしく互いの顔を見た。そして、一気に黒い穴へと頭から飛び込んでいった。

黒い穴の向こう側は、誰かの夢の中であることを、ホウとオポノは知らない。

そこでは、無数の時代と、無限の夢の広場が広がっていた。彼らが歩みを進めると、ドアが現れて、そこからどこへでも歩いていくことができた。
ホウとオポノは、この無限の回廊を、回廊といっても壁や床は、あるようでなく、夜の星空のような黒い闇の中に、幾つもの小さな大小様々な光が瞬いていた。彼らは、回廊を確かに歩いているのだが、宇宙空間をただよっているようにも見えた。

二人は、彼らの数倍もの大きさのあるドアが流れてくるのを見つけ、そのドアを開けることにした。

「オーポノノコロロイシ」
と、叫びながら、彼らはドアーを押した。

ドアの中から光が漏れると、彼らは、浮遊銀河の中空層の中から、黒の通路を抜けて、巨人たちの夢へと足を踏み入れたのだった。

巨人たちは、ホオとオポノのことを、「おお、久しくお目に掛からなかった小さきものよ、我が先祖であり、同時に、我らの末裔でもある、お前たちに会えることを嬉しく思う」
と、巨人のアームが言うのを聞いた。聞き覚えのない巨人たちの言語は、しかし彼らのうちなる翻訳機を通して、はっきりとその意味を聞き及んでいた。
「さあ、みなして、彼らの到来を祝おう」
巨人たちは、ゾロゾロと集まってきた。巨大な島に、しかし巨人たちからしたら、たかだか数百人が互いに距離をとりながら暮らせるほんのひと区画であった。
巨人たちが肩を寄せ合い、ホオとオポノの到来を、祝って巨人の声にしてはか細く繊細な音で、歌を歌った。

ああ我らが兄弟
古の民
未来の使者
いずれの時も
黒き瞳をたずさえて
我らに吉報もたらすもの
不意に現れ
豊かな時の
静けさを知らせる
歌人に化けて
いずれの世にも現れる
そのもの喜びの船に乗って
星々を一つにする

かの巨人の民に伝わる夢の中だけで歌われるこの歌を、ホウとオポノは、聞いた。
そして、ホウとオポノは、大きく息を吸い込むと、巨人たちの言葉で、こういった。

「われ、遠方より来たる、夢の使者なり。永遠の平穏と喜びに生きた、あなたがたの先祖であり末裔である。
我らは、巨人たちに伝えにきた。君たちの試みは成功に終わり、生命は、命をまた運び、宇宙は様々に枝割れし、今も、永劫に満ち満ちていることを」

「あっぱれじゃ!お主たち」
巨人の長が、瞳に大粒の涙を浮かべながらいった。
「こうして、我らが、はるばるこの地に降り立ったこともまた、無駄ではなかった。これもまた巨大な自然の思いつきであり、全てを失いかけた我らへのプレゼントであった。」

「太陽より生まれし、我らの小さき人よ、いずれの世にあっても、我らがこの星に降り立ち、玉響の炎を灯したこと、二重螺旋に刻み込んだ記憶を、思い出したまえ。
夢の使者が、永久の夏を渡り歩いて、君に伝えんとする。その響きこそ、永遠なり」

長の声が、島中に響き、この星をわずかに身震いさせたその時に、海底で、小さな泡が激しくぶつかり合い、新たな生命が生まれた。
ホウとオポノは、そのわずかな生命の律動を聞き逃さなかった。それは、今、彼らの腹の中で起きていることでもあったからだ。

新しい生命、新しい秩序、新しい混沌、新しい海、新しい空。
はてしない、時空を月に乗って旅した、巨大な彼ら。書かれていない歴史に、残されていない記録に、私たちは、むしろ居場所を見つけていく。
黒い穴を通じて、この星の夢の回廊を歩き続ける我らの先祖にして、末裔たる、古の民。
10000年前の遊びは、夢の回廊のドアを開け続けた。

月の光が、巨人たちの意識に入り込んできた時に、宴は終わりを迎え、ホウとオポノは、巨大なドアを押し開けて、夢の回廊へと戻っていった。

次に流れてきたドアは、彼らとほとんど変わらぬサイズのドアであった。ガラス張りのそのドアには、ノブはなく、つるりとしていた。彼らがその前に立つと、一人でにドアは、開いた。
ホウとオポノが、眩しくひかるそのドアの向こうに歩みを進めた。
そこで、彼らが見た景色は、今この夢を読むあなたの瞳を通じて見えるその世界であったことを、誰も知らない。


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