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第27回 『プロフェッショナルのようにルールを学ぶことで初めてルールを壊すことができる。そう、アーティストのようにね。』 by パブロ・ピカソ

こんにちは、stです。

IT絡みの話が2週続いたので、今週はプライベートな価値観について雑談したいと思います。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組があります。どの回もとても興味深くとてもいい番組だなあと思います。
ただ、興味深いんだけど僕はあまり心動かされることが少ない。とてもとても“感心”するんだけど“感動”することがあまりありません。
ただし、それはあくまで個人的な感覚です。

一流のプロフェッショナルとはその世界で業績や効率を上げることができる人で、多くは“有名”または“稼げる”人たちだと思います。そのほとんどはビジネスの上に成り立つ。
しかしアーティストは有名でなくても稼げず食えてなくてもアーティストです。
ゴッホやシューベルトのように、生前はほとんど稼ぐことができず食えないまま死んで、死後に有名になり作品が高額になった画家や作曲家もたくさんいます。
でも彼らは間違いなく生きている時からアーティストなわけです。

もちろん番組にはこれまで、俳優、音楽家、棋士などいわゆるアーティストの括りの人もたくさん登場しています。ただし、すでに有名になっている人たち。
まぁ、プロフェッショナルとアーティストは重なる部分もあるのかもしれませんね。

ただ、プロフェッショナルに関して言えば、多くの人は日々みんな仕事してるわけで、一生懸命働いている人はみんなプロなんだと僕は思ってます。
しかしながらアーティストについて言えば、日々生きているみんながアーティストなわけではありません。
アーティストは特別なセンスを持った才能で作品を作ったり行動する人たちです。
場合によっては社会的に理解されにくいことも多いかもしれません。

去年、検査手術のために人生初めて入院することがありました。ちょっとばかり苦しい入院でしたが、担当してくれた看護婦さんの細かく丁寧な対応に苦しさは癒され本当に感心感謝しました。あぁまさにプロフェッショナルだなあと思いながら感謝しました。
巷にいる多くのプロフェッショナルな人たちはテレビには出ません。出られません。

そういうプロの人たちを僕はとても“尊敬”します。

一方で、アーティストの人たちを僕は“敬愛”します。
アーティストに対しては愛を感じます。

採算など考えずに人生をかけて、また、人生を反映させて、何かを作ったり何かをやったりするアーティストに惹かれるのはなぜだろう?と時々思います。
前提となる枠があるのかないのか? 条件があるのかないのか? ルールがあるのかないのか? 意味があるのかないのか?

「アーティスト 人生の流儀」という番組があるならば、おもしろいだろうなぁと思います。

ということで、5月には敬愛するアーティストであるボブ・マーリーの生涯を描いた「ONE LOVE」を映画館に観に行こうと思っています。アメリカでヒットしているとのことなのでちょっぴり心配ですが、大ヒットした「ボヘミアン・ラプソディー」のようなメロドラマじゃないことを願いながら。

また来週!
JUST ROLL IT !

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