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ただただ、目の前の人と関われるしあわせ。

今日は、DxPの「コンポーザー」と呼んでいるボランティアの皆さんとスタッフとで、秋空の中BBQ。今日は絶好のBBQ日和やった。9月に台風が来て一度中止になったのだけれど、悔しくてリベンジ。とにかく、楽しかった。そんなよい一日が終わって今、感じていることがある。


「ただただ、誰かと「関わる」ことだけ、やってたなぁ」


何が楽しかったって、DxPに関わってる人と屋外に集まって、BBQ囲んで、食べたいときに食べて、話したいときに話したい人と話して、遊びたいときに遊びたい人と遊んだこと。自分の性格上、こういう場では「きちんと運営しなきゃ」「誰かと仲良くならなきゃ」「一人になってる人がいたら声をかけなきゃ」などと頑張って疲れてしまうことが良くあると思ってるんやけど、今日は頑張ろうと思わない自分がいた。


頑張らずに過ごしたこの時間を振り返ってみたときに気づいたのが、「ただただ、誰かと「関わる」ことだけ、やってたなぁ」ってこと。そしてその時間がしあわせやったなぁ、ということ。


これまで約30年の間で、自分なりにさまざまな人と関わってきた。ただ僕の場合、その関わりの多くに「誰かに好かれたい」「誰かに認められたい」「誰かのためになりたい」という思いを無意識のうちに上乗せしている(現在も)気がしていて、それがよく作用することもあったし、逆に頑張り過ぎたり空回りしたりして、自分へのストレスになることも何度もあった。溜めたストレスを発散するのが上手くなくて、抱え込んで起き上がれなくなることもあった。


そんな僕が、周りに気を回し過ぎることなくただただ、「誰かと「関わる」ことだけ」をやっていたというのは、大げさかもしれないけど、革命だ。


僕は約1年前にDxPに転職してから、定時制・通信制の高校生向けの、「人とのつながりをつくる」ことを目的としたプログラム「クレッシェンド」の運営に携わっている。(クレッシェンドについてはこちら https://www.dreampossibility.com/crescendo)

クレッシェンドでは、「目的なく、肩書も立場も関係なく、ひとりの人として関わりあえる場を通じて、生徒一人ひとりとかかわり、「つながり」をつくる」ことをやろうとしている。今年の4月にできたこの表現に対して僕は、これまでの経験から何となくの感覚は分かりながらも、自分の中で理解しきれていなかったと思う。というのも、上記の通り、僕が誰かと関わる時には周りの評価を無意識に気にすることが多かったので、「評価されるため」という目的は常にあるし、評価には「肩書や立場」も関係ありまくりだったから。

だから最近は、クレッシェンドで実現したい場のイメージを、自信を持って言えなくて悩んでいた。それと同時に、DxPでの活動理由をはっきり言えない自分がいることに気づいて、焦っていた。


そんな中の今日。僕はようやく、「目的なく、肩書も立場も関係なく、ひとりの人として関わりあえる」を体感できたんじゃないだろうか。

僕はこのDxPという場所と、そこに集う仲間たちと一緒に、「ただただ、目の前の人と関われるしあわせ」を、少しずつ拡げていきたいと思う。

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