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桐朋学園に思うこと

今の自分を形作ったものを考えると中学から桐朋に入ったことが大きいと思う。桐朋を初めて訪れたのは中学受験の当日だった。それまでは中学受験をする気が親も含めてあまりなく、まあ記念受験というくらいにしか考えていなかった。桐朋に行って、学校の雰囲気をみて、「ああ、ここに行きたい」という思いが沸き起こった。だったらもっと勉強しておけばよかったと思ったが、それでも運よく桐朋に入ることができた。桐朋では初日からとにかく「自由」ということについて、よく考えさせられた。桐朋は自由だ。自由だから選択肢が与えられる。そして選択肢から自分で選び、責任を取らなければならない。

久しぶりに桐朋のことを調べるとずいぶん偏差値が下がっている。東大にもかつてのように浪人あわせて毎年60名入るようなこともない。ちょっとせつない。ただ桐朋のホームページをみると現校長が片岡先生になっていた。ああ片岡先生なら大丈夫でしょうと安心した。片岡先生は30年前は倫理の先生だった。片岡先生の授業は教えるというか倫理のテーマについて一緒に考えようぜという雰囲気だった。「みんなどう思う?俺はこう思ってるんだけど。」といった感じで授業は進んでいく。先生がイエスキリストを説明した時も「俺はイエスのこんなところに魅力を感じるんだよね。できるならこんな話を酒でも飲みながらしてみたかった。」といいながらイエスの神々しさとは別の人間的な側面にも光をあてていたのが印象的だ。片岡先生からは押しつけは一切なく、誰かが意見をいうと「うん、なるほどね。それもいいね。」という感じで何でも拾い上げてくれた。先生からは人間に対する信頼というか、この世界に対する信頼が感じられた。自分と他人に対する自信というか信頼を無意識のうちに根付かせてくれたと思うし、校風の自由という考え方とも相まって未知の世界に飛び込むエネルギーをくれたと思う。

もう一人、桐朋には国語の香川智之先生がいる。これはもう私の情緒を感じ取る力や論理的思考を根本から鍛えてくれた先生で、今、人生を振り返ると本当にいろんな力を与えてくれた恩師だと思う。先生の授業はすごかった。例えば「高瀬舟」をみんなで一緒に読みながら気が付いたこと、類推できることを挙げていって、先生がひたすらその意見を板書するというものだ。時々解説はしてくれるが基本的には生徒が気が付いたこと、「この時のこの人はこう思っているんじゃないかな、だってここにこんなことが書いてあるし」という意見を書いていくだけ。生徒と高瀬舟を題材に対話をし、感性や論理性を高めていく授業はシンプルにして、最高の国語の授業だと思う。そこには受験テクニックとは全く違う、人生を支え、切り拓く力を培う何かが確実にあった。

桐朋の先生の授業は片岡先生、香川先生に限らず皆さんクリエイティブで、常に長い人生を見据えた教育者として編み出したものであったと思う(もちろん桐朋が好きなことによるバイアスもあるでしょう)。

片岡先生や香川先生の授業はじめ桐朋で培った力は、人生を振り返るとその後の色んなチャレンジに立ち向かうのに生きている。きっと桐朋の持つ雰囲気は私が中学受験の時に感じ取った時と変わっていないのだろう。偏差値なんか気にしないで、あの時私に与えてくれた力を今の生徒たちにも与えてあげてください。頑張れ桐朋生!

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