日本の漫画の読者と作者と編集者は今
コラム「日本の漫画の読者と作者と編集者は今」
時代とともに流行も移り変わるもの。1970年代から今より20年ほど前にかけてヒットしていた漫画作品と、今現在ヒットしている作品の違いを意識してみたことはあるだろうか。昔の漫画は一つのページのこま数が多く10こまなんてわりとよくあったが、比べて今の漫画は一つのページで大体4~5こま、多くて6こま。 今は見開きで合計10こまあれば多いといわれている。 その理由は〈読者が見やすいように〉。そういう注文を作者に指示しているのは編集者なのだが、注文はこまの大きさ以外にもまだまだある。
例えば話のわかりやすさ。その話の展開と世界観と場所と人物、人物の立場、感情などを完全に読者が理解できるよう絵や台詞でこれでもかというほど(小学生でもわかるレベルで) 明確にされている。次に絵が今風であること。 現在ヒットしている漫画の大体は人物の描写が似通っているものが多い。
なぜ編集者がそこまで「わかりやすい内容で、はやりの絵柄」を作者に求めているのか。理由は単純で、そういう漫画を今の世の多くの読者が選ぶからである。 漫画がエンタメでありビジネスである以上、結局売れなければしょうがないとなる。あまりに多くのエンタメであふれた世界に生きている読者は、手にとった雑誌の新しく始まった漫画を見てそれがはやりの絵柄でなかった場合(時代錯誤な漫画なのかな。読んでも面白くなかったら時間が無駄になるし、読むのやめよ。漫画は他にもたくさんあるし)という気持ちを抱くことと思う。
確かに時間がもったいないという視点はブラック企業や変質者から身を守るため大事なものではあるが。深く考える必要もない漫画や音楽を選んだり、映画やドラマを2倍速で見たりしている今の多くの視聴者は、作品を味わっていというより消費しているといえるのではないか。それははたして感受性と呼べるものだろうか。日本のエンタメの作風がどこへ行き着くのか興味がある一方、心配でもある。
ちなみに「作者は自分の好きな絵柄で描きたい内容を好きなページ数で描いてください」という漫画編集部も少なからずあるわけで、そこへはきっとはやりのものは合わないと感じる読者が流れていくのだろう。
(2022年9月29日沖縄タイムス「唐獅子」にて発表)
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