アクセントのアレコレに思うこと
コラム「アクセントのアレコレに思うこと」
喉や口腔周囲筋は筋肉である以上、トレーニングを2日も怠ればたちまち劣化してしまう。いわばそれらを仕事に使い毎日メンテナンスしている人はアスリートである。と、私は思う。
NHK日本語発音アクセント辞典というものがある。現在における日本標準語の正しいとされるアクセントのとり方が、単語ごとに国語辞典の分量で収められていて、それら全てを覚えるとなるとめまいがする思いだ。
俳優やナレーターなどの職業は第一にそれら正しいアクセントがとれないことには仕事がこないといわれる。さらに出身地方の訛りもできれば、ドラマなどでその地方出身者の役をもらえるチャンスも広がるというメリットがあるそうだが、やはりあくまでも正しいアクセントが必須なのである。
日本語発音の専門書を読んでみると「1980年代初期にはすでに日本の俳優やタレントらの喋りのアクセントは乱れまくっていた」という記述がある。確かに70年代の映画やドラマを見てみると、俳優の喋りはアクセントが乱れているものが多い。しかし俳優おのおのが自分の好きなようにセリフを喋っている演技はとても生き生きとして魅力的に感じる。
近年ではそこまで自由な喋りの映画やドラマは少ない印象だが、リアリティーの演出としてか、あえて俳優が乱れたアクセントをとっていたりセリフを噛みまくっている映画をたまに見かける。考えてみれば全ての人間が完璧なアクセントと滑舌で喋っている世界というのも不自然なのだ。 それもひとつの作風として成り立たせている日本におけるエンタメの受け皿は広い。
それにしても自分の視聴した映画やドラマの登場人物の言動や脚本に目くじらを立てて酷評している人をときどき目にするのだが、せめて映画やドラマというものはそれの制作に携わる多くの方々が(見た人を楽しませたい)という気持ちで努力してつくっているものであることは胸におさめてほしいものだ。
ときに私は現在放送中の朝ドラ「ちむどんどん」にて沖縄県外出身の俳優の方々が上手に沖縄訛りでセリフを喋っているのを見るたび、よく慣れないアクセントを熱心に勉強していらっしゃるなと感心するばかりだ。じつにあっぱれである。
(2022年9月1日沖縄タイムス「唐獅子」にて発表)
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