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新感覚の語学体験で心を燃やせ。 To be or not to be, that is the question.

To be or not to be, that is the question.
「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」
(小田島雄志、1972年)

皆様がご存知のように、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)のハムレットの一台詞。

この一文には、訳するだけでも、過去より多くのロマンが積み重なります。
それだけ、人々の心を動かす言葉なのでしょう。

なぜ、この一台詞を取り上げたか。
ふと、友人から
「今年のゴールデンウィークはどのように過ごすのか。」
と問われた時に、英語で返してみようと突如考えたことから深い視座を得たからです。それを共有したくて、ここに記していきます。

ご存知のように、この1台詞には、続きがあるんです。

To be or not to be, that is the question;
Whether ’tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles
And, by opposing, end them. (Hamlet, Act 3 Scene 1)
このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。
どちらが立派な生き方か、このまま心のうちに
暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、
それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、
闘ってそれに終止符をうつことか。(小田島雄志、1972年)

どうでしょうか。
何か胸に突き刺さるところがないでしょうか。
私には、世界のコロナ禍中にいる人々の心を映しているように感じます。

難しいことを抜きにして、
人は、常により魅力的な「体験」を求めているのではないでしょうか。
そして、今は、その求める「体験」に制限がかかり、自分の想像の世界とのギャップで倫理観をフル回転させているような状態。

正義は人それぞれですよね。守りたいと思うものも違う。
ゴールデンウィークという限定時間の額縁の中でのみ、人の心を覗いてみても、仕事、遊び、家族、恋人など色々な視点の中で、各々の行動の正義があると思います。
想像していた自分への幸せ、周りへの幸せ、社会への幸せのための想定していた運命に対して、社会的な変更要請との乖離。どうしようかな。。。

大小あれど、心の中に出てくる一台詞は以下だったのではないでしょうか。

To be or not to be, that is the question;
「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」

さて、ここからが本題です。
このような社会的要請がある中でも、思い思いの行動をなぜ人は取ろうとするのでしょうか。
家にいるだけでいいのに。なぜ何かを追い求めるのか。何がその根源なのか。そこに何を求めて動くのか。

それは、人々が、「体験」を求めているからなのではないでしょうか。

私は、このゴールデンウィークは、語学教育への新しい一手に想いを馳せていました。

私は、なぜ語学教育にこんなに躍起になっているのか。
私は、語学教育を通して、一体何を社会に残したいのだろうか。
世界的な新型コロナウイルス感染症は、語学教育に何をもたらし、もたらすのか。
来たるAI時代の10年後にあるべき語学教育は何か、必要なのか。
私が、創り上げたい語学サービスとは一体何なのか。

この問いに気持ちの良い新緑の風をもたらしてくれたのが、ゴールデンウィークの人々の動きから見えてきたより具体的な

「体験:Experience」という概念です。

直感的にも、結果論的にも、
「体験」が人に与える影響は非常に大きそうですね。

今は、家にいる時間(おうち時間)でも、得られる情報や体験は多そうだが、このゴールデンウィークの動きを見ると、人は、どうやらより大きな体験を求める傾向にありそうですよね。
家にいるだけでは、得られない強い体験が外の世界にあることを求めているからこそ、人はこのように行動するのではないか。
レンタカーの予約も過去最多になるほどの盛況だったとのことです。
GWレンタカー店が予約“過去最多”のワケ

家にいても全てが手に入る時代でもあるのにも関わらず、
小大を含めてリスクを取りながらでも「体験」に意義を見出している。
そこまで、人々を魅了する魔力のような「体験」とは一体何なのでしょうか。

言い換えれば、
現代社会には、外に出かけなくても体験できるコンテンツが溢れているが、やはりその場所に行きたくなるような、

「身体的な体験」を求めているのではないでしょうか。

私も、語学教育や自身の経験を通して、体験の重要性を理解しているつもりです。
前述のNoteでも記載がありますが、
①英会話を嫌いになった経験=小学生の時に個人塾でapple の発音を何度も直された体験
=英語は嫌いであるという状態に
②英会話に自信を持った経験=中学の時に法隆寺で英語で外国人に覚えたフレーズが伝わって笑顔を引き出せた体験
=英会話は、面白いかもしれないという感覚を持つ状態に

つまり、「心が燃えた体験」がそこにあった。
その後は、その炎が燃え続けて、私はどんどん勝手に行動していった。
そして、勝手に語学を習得していった。話せるようになった。

このように、人は体験でのみで変わるのではないか。
体験によって、人の価値観は変わり、行動も変わるのではないでしょうか。

タイミングよく、友人に是非みてほしいと言われ録画してもらった日テレのAnother Skyの番組。世界的翻訳家の戸田奈津子さんと世界的建築家の安藤忠雄さんの特集でした。

その中で、この体験に関して、面白いヒントになる言葉が。
戸田奈津子さんは、

「匂いがない。」

という言葉を語っています。
イギリスにいけなかった当時に、リアルにイギリスに行くことで体感できることは匂い。というニュアンスの話。
身体的な体験を求める理由が、5感、6感でその体験を感じることに他ならないのでしょう。体験が感動を生み、人を変えていく。

安藤忠雄さんは、以下のような言葉を言っています。

「若いときに興味を持つものを探させてあげたい。」
「世界共通言語は、気持ち」
「チャンスのためには感性を磨く」

世界を体験させてあげることで、感性、気持ち、好奇心をくすぐる。
世界の建築に感動して、その感動をまた自身の作品にも活かしている安藤忠雄さんだから語れることだと思います。

人それぞれ求めるものは違っても、「体験」の意義は非常に大きいことが見えてきますね。

さて、私の語学教育に戻りますが、

2021年は、「新感覚の語学体験」というテーマを主軸にしています。
これが、今私がどうしても具現化したい、創りたいものになります。

簡単に記載をしていますが、このテーマが意味するところは、私のこれまでの語学教育概念の殻を大きく破らないといけません。真の挑戦です。

いい語学教育とは、「体験」である。

という概念の証明を進める必要があります。もちろん1アプローチでありますが、一つ私が辿り着いた答えに近づいてきていることは確かです。
レッスン、メソッド、コーチング、教材、は大事だ。でもそれ以上に必要なのが体験なんだ。
圧倒的な心が驚きと心が震える、語学に対する興味を爆上げする体験なんだ。

語学には、まだまだ「体験」という概念が足りないのではないか。
そのような問いがあります。
受験のため、資格試験のため、話せるようになるため、仕事のため。何かの結果(ゴール)をサポートするための手段(メソッド)には力点が入っていますが、その前段階の魅力作りやきっかけ作りが他の業界に比べても弱いのではないか。

サッカー市場であれば、いいサッカー選手だけがいても、始まりません。サッカーの魅力は伝わらない。サッカーというスポーツ自体が、やるのも、見るのも楽しい。それを輪のように広げていく。そして、そこにファンができ、ビジネスができ、よりサッカー選手としての魅力的な環境と魅力的なエンターテイメントの舞台が創られていく。そして広がっていく。

語学は、まだまだ私が仕事してきたことを含めて、「サッカーを上手にすること=語学を上達させてあげること」だけにフォーカスしすぎてきたのではないか。
もっと語学の楽しさを心に火をつけるような「体験」を作り上げてその魅力を届けてあげたい。そうすれば、もっと多くの人が各々の語学の意義に気づいてくれるだろう。

英語だけに囚われない圧倒的な語学体験を創り出したい。
私は、そこに没頭をしています。

Life is choice.人生は選択。
(戸田奈津子さん)

新感覚の語学体験への選択を引き寄せて、
英会話、語学が楽しかったと言ってもらえることは私の大きな使命だと思います。世界の、百間行脚をさせてあげたい。
一人でも多くの人に、語学の魅力と世界への心の炎を点火してあげたい。

一人一人の突然やってくるチャンスを拾える感性を研ぎ澄ませる。
そんな語学の魅力のきっかけになる心を燃やす「新感覚語学体験」
そんな語学教育を創って参ります。

改めて小倉進太郎、私自身の語学教育、いや、語学体験価値観に問う。

To be or not to be, that is the question;
「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」

GW 5.5
小倉進太郎

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