火曜日のルリコ(15)

 ルリコはその日、アパートに籠もって、一日中テレビを見ていた。

 ムーを膝に抱き、炬燵の上に置いた十三インチの液晶テレビのチャンネルを次々と変えては、視聴できる限りのニュースを視た。

 どのニュースも、ワイドショーも、キール大統領の訪日をトップニュースでとりあげていた。

 そうして、一日が終わった。

 赤坂迎賓館での首脳会談、共同記者会見は、予定通り終了したらしい。

 キール大統領も火野総理も、終始上機嫌で、すべては予定通りに推移したという。

 懸案となっていた貿易交渉や、安保条約の適用範囲確認についても、アメリカ側が日本の主張をほぼ全面的に受け入れる形で合意ができたらしい。

 何も事件は起きなかったようだ。

 ただ、本来火野総理が夫妻で出席する予定だった大統領夫妻との懇談に、由紀奈夫人の姿が映らなかった。

 キール大統領は明日の朝出発だから、それまで気は抜けないが、もう松村が何かするチャンスはないだろう。

 ルリコが安心して、そろそろお風呂に入ろうと着替えをしていると、携帯が鳴った。

 優子だった。

「ルリコ、元気?」

「あ、優子。無事退院できたのね。ごめんね、最後まで一緒にいてあげられなくて。どうしても手を離せない事情があったの」

「昨日目が覚めたら、なぜか病院にいて、最初は事情がわからなかったわ。あなたと久保田さんが連れてきてくれたんだってね。おまけにお洋服が汚れまくってて・・・。私、また飲みすぎて暴れちゃったのかしら。ここんところずっとそんなことなかったのにね。でも、病院なんてちょっと大げさだわ。近くのラブホにでも、残しといてくれればよかったのに」

 優子にしては、早口でまくしたてた。

 昨夜のことは、やはり何も覚えていないようだが、ルリコには、その口調が少しばかり気になった。なにかしら、彼女らしからぬ雰囲気を感じたのだ。

「昨日はさすがに休んだけど、今日からちゃんとお勤めよ。ま、それはどうでもいいんだけど、ルリコ、あのユッキーナと同じバッグ、どうかしたの」

「あのバッグ・・・、じつは・・・」

「あなたにあげたもんだから、どうしようとあなたの自由だけど、じつは今日、お店に警察の人が来たのよ。あのバッグのことで」

「警察!」

「バッグをくれた竹本さんから聞いたって、私がバッグをもらったってこと。それで、あのバッグまだ持ってるかって訊かれたわ。でも心配しないで、どこかで置き忘れたって言っといたわ」

「優子、じつはね、そのバッグ・・・」

「あ、待って、別の電話が入ってるわ。また後で電話するね」

 電話は切れた。

 優子に、バッグのことを言い忘れた。

 優子は、松村のことなど覚えていないはずだ。現にルリコがそうだった。

 だが、いずれちゃんと説明する必要があるだろう。

 警察がバッグの持ち主を洗っているということは、ルリコの作戦に、何らかの効果があったということだろうか。

 昨日一日かけて、ルリコはやすりでバッグの製造番号を削り、消毒用アルコールでバッグ全体を丁寧にぬぐった。

 久保田には、会社のデータベースから、総理夫妻の適当な写真を選んでプリントするよう頼んだ。

 それも、誰にでも手に入る画像なら、単なるいたずらですまされるだろうから、少しばかり入手が難しく、それでいて足がつかないよう、限定された範囲で出回っているものが望ましかった。

 警備の目を盗んで、公園にバッグを置いてきたのは、久保田だった。

 久保田の連絡を受けて、ルリコが近くの公衆電話から警察に電話し、優子と松村の会話を流してきた。

 二人の行動がどれほど役立ったのか知る由もなかったが、少なくともこの日、何も事件はなかった。そして、ユッキーナの姿は一切ニュースに映らなかったし、警察も動いているようだ。

 ルリコは、少し安心して、小さなバスタブ一杯にお湯をためた。

 小さなアパートのユニットバスでは、狭すぎて手足を伸ばすことはできない。それでも、ずいぶんぜいたくな気分になった。

 気持ちがほぐれると、編集長に約束した、松村の記事が気になってきた。

 キール大統領が出発したら、さっそく仕上げなければならないが、はたしてどの程度書いたものだろう。

 霊感ホストが大統領暗殺を企んだと書いても、誰も信じてはくれないだろう。それ以前に、編集長がその部分を削除するだろう。

 昨日と今日は、キール大統領の問題で何もできなかったが、明日は取材を入れている。なにか、新しい材料が得られればよいのだけれど・・・。

 お風呂から上がると、携帯に留守電が入っていた。優子だった。

 折り返し電話すると、優子はすぐに出た。

「ごめんね、途中で電話を切っちゃって。竹本さんだったわ。やっぱ向こうにも警察が来て、しかも間の悪いことに、奥さんが一緒だったんだって。限定品だから、買った人はすぐに足がつくのね。警察は奥さんのために買ったもんだと思ったらしいけど、奥さんはそれ知らなかったでしょ。けっきょく、私にくれたこと白状しちゃったんだってさ。バカね、しらを切り通せばいいのに。私に文句を言われてもどうしようもないわよね・・・」

 優子は、一方的にそれだけしゃべって、電話を切った。

 またしても、バッグの話をしそびれてしまった。

 

 翌日、ルリコは、キール大統領夫妻が羽田を出発する映像を生放送で見てから、出かける準備をした。

 衣装といってもそれほど持ち合わせはないのだが、訪問先を考えると、いつものミニやノースリーブではなく、それなりに慎ましい格好がよいだろう。

 衣装ケースに下がったスカートをかきわけて、膝下まで丈のあるものを選んだ。

 髪の毛をスカーフで隠す必要はないだろうが、一応首に巻いて行き、要すれば対応できるよう考えた。靴も、踵の低いものにした。

 準備を整えて、まさに玄関を出ようとしたとき、久保田から電話が入った。

 応答するなり、久保田が叫んだ。

「ルリコさん、ニュースだ」

「何?」

「松村がつかまった」

「え!」

「松村が、警察に逮捕されたんだよ」

 松村が?逮捕された?本当なの?でも、逮捕されるとしたら、容疑は何?

「容疑は何?大統領暗殺未遂?」

「警視庁記者クラブの知り合いによると、爆発物取締法違反だそうだ」

「爆発物取締法・・・」

「昨日都内で見つかった爆弾から、松村の指紋が出たそうだ」

「都内?都内って、場所はわかんないの」

「警察発表では、爆弾がしかけられた場所は一切未公表だそうだ。きっと松村は、ユッキーナに爆弾を持たせたんだよ。あのでかいバッグだから、キール大統領夫妻を含めて、部屋にいる全員を吹き飛ばすに充分な爆薬くらい入るだろう。優子さんが言ったとおり、ユッキーナに自爆テロをやらそうとしてたに違いない。記者クラブにいる俺の知り合いによると、任意同行なしにただちに逮捕だよ」

 久保田は、一方的にまくしたてた。

「やったね。俺たち世界の平和を守ったんだ。松村が逮捕されたから、もう俺たちも心配ない。俺たちだって、こんなことができるんだ・・・」

 世界平和はさすがに大げさだが、松村は止まらなかった。

「俺があのバッグを置いてきたから、警察も動き出したんだよ。それで、松村が逮捕されたんだ。どうもユッキーナが松村のところに入り浸ってるっていうことで、警視庁も密かに松村をマークしてたらしいよ。だから、すぐに指紋が特定されたんだ。これでもう安心だ・・」

「待ってよ。もしかしたら私たちが間違っていて、大統領暗殺計画なんてなかったのかもしれないじゃない」

「そんなことはない」

 久保田の声が、一段大きくなった。

「逮捕後彼の身柄は、警備部に移されたらしい。警備部だよ。警備部は国賓とか政府要人の警護が担当なんだ。この逮捕は、明らかにキール大統領に関わっているよ。それに、昨日の朝、警視庁と赤坂迎賓館では、かなりあわただしい動きがあったというんだ。きっと、俺たちの考えたとおりだったんだ。そして、俺たちが松村を阻止したんだ。俺たちだよ。俺たちが彼を止めたんだ。俺たち、英雄だぜ。俺も、ルリコさんも・・」

「何よ、あんた、泣いてんじゃないでしょうね」

 携帯を通した久保田の声は、泣いているようにも聞こえた。

 ルリコは、彼の心の闇を見たように思った。

 松村は、その後もさんざん同じことを繰り返して、一方的に電話を切った。

 静かになってから、ルリコは考えをまとめようとした。

 松村が逮捕されたのは、爆発物等取締法違反容疑だという。大統領暗殺をほのめかすものはなかったが、爆弾をしかけた、という話は気になった。

 爆弾を置いた場所は、都内ということだけで、どこかは公表されていないらしい。彼の爆弾がユッキーナのバッグの中にあったかどうかは、ルリコには確かめようもなかった。

 ただ、ルリコは何か不安だった。メッシングにまつわる、あるエピソードが頭にあった。

 

 メッシングは一九三七年、ワルシャワのとある劇場で観客に依頼され、ヒトラーが東に向かうと死ぬと予言した。

 一九三九年、ヒトラーは予言どおりドイツの東方、ポーランドに侵攻し、ポーランドの大部分を占領した。同時に東部は、ソ連の支配下に入った。

 そして、ワルシャワにはまだ、メッシングがいた。

 ナチスは、メッシングの首に二〇万マルクもの賞金をかけ、ゲシュタポが全力でその姿を探した。

 ワルシャワでとある倉庫に隠れていたメッシングであるが、ある夜運悪くゲシュタポの捜査員に見つかってしまった。メッシングは、逃げる間もなく殴り倒され、その場で歯が六本も折れてしまった。彼らはメッシングを捕え、警察署の監獄にほおりこんだ。

 メッシングの超能力が炸裂したのは、この後だ。

 メッシングは精神を集中し、警察署周辺にいた警官を全員、自分の監獄の中に集めた。

 彼らは監獄の鍵をあけ、まるでメッシングなどいないかのように中に集まってきた。全員が入ってくるとメッシングは、ゆうゆうと外に出てかんぬきをかけ、そのまま東へ逃げた。ソ連領との境界になっていたブク川は、泳いで渡った。

 スターリンが彼のうわさを聞きつけ、自らその能力を調査しようとしたのは、ソ連に逃げてからのことだ。

 

 松村の能力が、メッシングと同じかどうかはわからない。しかし、彼は相手を見つめ、同時に声の調子を少し変えて話しかけることで他人を自由に操るらしい。取調室では警官たちは必ず松村を見据え、話しかけるはずだ。

 

 

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