【随筆#1】もう仕事やめよう

 最近、もう仕事をやめようと思ったりする。その理由を書くと問題になるので書けないが、そこから派生した思考のことを3つほど吐き出したい。

 まず、今の仕事をやめてまでやりたいことがない。仕事に限らず、自分は人生の中でやりたいことがない。毎日、同じことを同じ時間に繰り返すことに苦がないし、むしろそうしていたいので、急な食事や外出の誘いは基本的に断っている。なんとなく毎日を過ごしているので、やりたいことなんて持ち合わせているはずがない。やりたいことがないので、行きたい会社がわからない。

 次に自分は普段から肩書きや所属で見られることが心底嫌いだった。自分の中身や今頑張っていることを見られるのは構わないが、外側の付いて回る結果だけを見てなんやかんやと言われることに嫌気がさしていた。嫌気がさしていたはずなのに、実は自分が1番それにしがみついていたと気付かされて嫌になった。今自分がこの仕事を辞めようなんて言うと、周りから確実に勿体無いとか辞めない方がいいと言われるはずだし、事実既に言われてきた。その上で確かに勿体無いか、やめるのをやめようか、なんて思う自分がいることに気づかされた。自分自身の価値ではなく、自分の所属に実は価値を見出していたことが心底ダサく、格好悪く、そんな嘘つきな自分を破壊するために、自分はこの仕事をやめなきゃいけないと言う義務感に今は駆られている。

 最後に今回仕事をやめる選択肢が現実味を帯びている理由がある。コロナ禍になって仕事が激減した時も実は転職を考えた。でもその時は自分になんのスキルもなく、転職活動してもどこも採用してくれないと思って怖くなった。そこから自分は資格を取ることに躍起になり、FP3級、宅建、簿記2級と手当たり次第かき集めてきた。そして今回の考えに至った時、前回と違って外に自分の価値を証明できるわずかな輝きを持てていることに気づいた。どこかしら自分を拾ってくれるのではないだろうか?そんな気持ちが今の自分を揺さぶっている。10円しかない人間は何も買えず立ち尽くすだけだが、1000円を持ってる人は買い物をすることができる。10円しかない人のように何も買わない選択もできるが、1000円分の買い物ができる可能性の誘惑に、果たして自分は勝てるのだろうか。
 どうしたらいいか正直わからない。どれを選んでも不正解だと思えてしまうから。不正解の中から最もマシな不正解を探す作業を、西高東低の日々の中で強いられている。

※普段のnoteはヘッダー画像と見出しをつけて長文で書いているけど、随筆は書くハードルを下げたいのでそれらを取っ払ってます。Twitter以上note以下の感覚です。こんなnoteにもファンがいるらしいので、そんなあなたに向けた注意書きです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?