You don't have kids,You don’t have obligation.So,You have to take the risk.
こんにちは、こんばんは。週間化が難しいこのnote。人の意志ほど当てにならないものはないと思うので、いかに継続できる環境に拘れるかが大切と頭では理解していながらも中々難しい今日この頃。筆を執る意義について考えてみたはものの、若干21歳、無名、無成績の人間が発信する内容に価値なんかあんまりなくて、いかに情報のインプットとアウトプットを高速でぶん回して、20代というアドバンテージを活かし、少しでも高く最高到達点を伸ばし続けることだと認識しました。頭の中でイメージをしてから書くことが多いのですが、案外、対人に向けて筆を執るというよりかは、ほとんどは自分に言い聞かせているために書いてるなと悟りました。
本題に入りますが、現在の日本において、特にその中でも各個人が不自由を承知で、この何不自由ない日本社会においてわざと大胆なリスクを取ることの重要性について書いていこうと思います。
結論からまとめると、題名にもあるように10代、20代なら、子供もいなければ、大した義務も責任もない。強いて言えば納税くらいしか負うものがない状況において、社会的文脈がつきやすく、難易度の低い、耳障りの良いことをするのではなく、社会的文脈がつきにくく、難易度も高い、耳障りの良くないハイリスクなことにこそ若さという資本を投下させる必要があるということ。
生きるか死ぬか、また歴史の言葉を借るならば「下剋上」みたいな"モチベーション"が国内において高頻度に発生してくれば、もっとクレイジーなことを考える人が生まれ、その副産物として日本においても結果的に良い影響を持たせるのではと考えています。
また、大胆に文脈のつかないものにリスクをとっていくという文化が日本はあまり定着していなくいかにすぐリターンが返ってくるか、金になるか、どう役立つかという直近5センチくらいの視野で新規事業を見る場面も多々あるかと思います。社会の許容度の高さ、つまり父性というのは今の日本社会において大いに不足しているところかと思います。またそれに応じて挑戦に対する許容度、つまり母性も欠如しているかと思います。
どんな実がなるかわからないものにおいて蓋をするのではなく、隣で見守り、これはやばいとなれば制御する、それくらいの受け皿が現代の日本において必要な力だと思います。
とまぁここまでかなり主語を大きく"社会"に目を当てて書いていましたが、次は主語を小さく"自分"に目を当てて考えていこうと思います。
私自身、宇宙ビジネスを行う会社を立ち上げ、まずは小さな運転資金の確保と思い、公庫に融資の話を聞きに行きましたが、私たちの力不足、能力、知識不足はもちろんありましたが、やはりすぐ実になるか、金になるかの視点が多く、経歴、学歴、人脈など、いかにそのプロジェクトをそれっぽく見せるかの技術を問われている気がします。私たちが大いに不足していて出資するまでもないのはよく理解していますが、それを受け入れたうえでも尚、外面に囚われすぎているかなと多々感じます。会社経営をしたこともなければ自ら借金をしたことがない人が出資者側になるのは大きなデメリットになるかなと思います。出来たてほやほやの企業がいくら完成された事業計画書を持っていたとしても、結果を出せなければそれらを作るに要した時間は無駄に終わり、優れた技術を持っていたとしても、現代においてマネされないという保証はなく、そもそも明日生きているのかさえも分からない。明日日本の経済が破綻するかもしれない、それくらいのスピードで変化する現代において長期計画などは無意味に等しく、判断基準はそれらであってはならないと思います。
もちろんヒト・モノ・カネを投じて社会活動を行っていくわけなので、あやふやなものだと困りますが、面白そうと思うものであればリターンを求めずどんどん投資を行っていく。という文化がもっと定着し、もっともっと社会がカオスになっていけば、今よりさらに面白く、明るい日本が来るのではないかと思います。
大げさではありましたが、必要なことだと思うので書き記しました。自身の事業も軌道に乗せられるよう励んでいきたいと思います。長々とありがとうございました。