若い黒人女性の様々な生態が綴られている。苦しく哀しくてならない物語だが、そんなことは気にせず読み進むことができる。
トニ・モリスンの筆致は誰を恨むでもなく、淡々と綴られているからに違いない。
だが読み始めた当初は、なかなか先に進むことができなかった。遅々たるもので読み終わるのに数か月かかるのでないかとさえ思ったものだ。読みにくくも感じていた。翻訳が悪いようでもないのだが。
一冊の本にこんなに長い時間をかけたのは、ボードレールの『悪の華』以来ではないだろうか。それで気が付いた。小説として読もうとするから読みにくさを感じるのではないか。それぞれの女の描写を詩として読み取っていけば良いのかもしれない。
それは正解だった。
下記なんか、セックスシーンの描写だが、ポルノグラフィでなく美しい囀りのように聴こえてきた。
それでも読み終わるには二十日以上かかってしまった。各掌編の余韻を味わいながらの読書だったからだろう。
トニ・モリスンは読書メータで『三人の逞しい女』で頂いたコメントで初めて知った作家。でもノーベル文学賞受賞者だった。
ノーベル賞なんて今じゃ大安売りされているようで、賞としての実感が湧かない。だから気づかなかったのかもしれない。
ファインマンが受賞したときは感激したけど。もう五十年以上も前のことだ。
『青い眼がほしい』がアメリカの読者に迎えられたのは、ノーベル賞とは関係なかった。オープラ・ウィンフリーがトークショーで取り上げたことが迎えられるきっかけとなったのだ。
それは分かる。芥川賞や直木賞を取ったって、食指が沸かない本も多いから。