別離の誘惑 4
その後、夏織が僕を食事に誘うことが少なくなった。
そのかわり仕事は前以上に積極的になった。仕事で僕と話すことに楽しみを求めいったのではないか。
夏織が、実家で不幸があり休んでいた時だった。
部に奈緒美がやってきて、夏織が休んでいるのを知って寂しそうにいていた。僕が食事に出かけようとすると、奈緒美が話しかけてきた。
「菅原係長。お食事一緒しません」
僕は快く応じた。二人っきりの食事は初めてだが、そんな気がしなかったのだ。
奈緒美は通いなれた店でなく、僕が知らない店に連れて行ってくれた。それはショートケーキなどを販売する店が、傍らで食堂を営んでいるものだった。ちょっと少女趣味といった雰囲気で、男だけでは到底行けないような店だ。
「夏織さん。この店あまり好きじゃないの。子供っぽい感じが嫌なんだって」
夏織ならそうかもしれない。でも奈緒美なら似合うとは思う。
「係長。ここで良いよね」
「いいよ。奈緒美さんの保護者になったような気分だけど」
「あら。じゃ係長のこと、これからパパって呼ぼうかな」
「それはないよ」
そう言ったけど、愉しくてならなかった。夏織とでは、こんなことはないだろう。
*
夏織が奈緒美の誘いを断ることが多くなった。
「私、片づけなきゃならないことが少し残ってるから、先に行ってらっしゃいよ」
それは口実に過ぎない。忙しいのは事実だが、急いで片付ける必要なものがあるわけはなかった。
「夏織さん。私に焼餅してんのよ。係長のこと好きなのに言えないものだから」
そういう奈緒美の言葉が解るような気がした。
だが夏織を恋の対象として考えることはできなかった。夏織のことを可哀そうな気はしたけど。
奈緒美とも映画を観に行くことがあった。奈緒美は僕に寄り添って映画を観ていた。悲しい映画では、奈緒美も涙を流した。
僕は、奈緒美にハンカチを渡した。愛おしくてならなかったからだ。
「私。謙治さんのこと大好き」
奈緒美が小さな声で呟く。僕を名前で呼んでくれた。
その半年後、僕は奈緒美と結ばれた。結婚式は身内だけで簡素に済ませた。夏織を見たくなかったのかもしれない。
奈緒美との一年少しの生活は楽しくてならなかった。こんな幸せが自分のものであることが信じられなかった。
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