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夏 第220回 『魅惑の魂』第2巻第2部第63回

 実際の彼の心は、観られるほどには貧しくはなかった! むしろ観かたを変えれば豊かとも言えただろう。彼には、オデットのように大きな感情の起伏がなく豊かには観えなかった。話題のなかに飛び込んで行くよう活発さも持ちあわせてはいなかった…  (実際は口にしなかったというだけだが!)感情の激しさも、だれにも劣りはしなかった。… (しかしその激しさは、人が思う方向とは異なっていた)… そうなのだ。彼は世間が興味を持つような話題には、まったく無関心と言ってよかった。それでも彼の心は、ある感情でかき乱されていた。知識を蓄え豊かな知性の持ち主となった少年は、官能的な空気を吸収することは少なかったものの、他の面での欲望が暗い潮流となって満ちてくるのを憶えていた。それは彼にとっての男らしさであって、体内のエネルギーを、ある征服に向けて燃焼しはじめていた。彼の征服の夢は、内面を知らない者には、とっても貧弱に思えたに違いない。その夢を垣間見ることができたとしても、多くが子どもの頃に夢に見たものの域は、彼が考えていたもの超えることもなかっただろう! かっての少年たちは、兵隊、蛮族、海賊、ナポレオン、そして海洋への冒険を夢見ていたものだった。だがマルクが夢に見たものは、飛行機、自動車、無線という次の世代のものだった。彼の周りでは、世界という考えが目まぐるしく輪舞していた。熱狂が惑星を振動させていた。すべてが駆け足しながら飛んでいて、大気と海面を切り裂き回転して、渦を巻きあげていた。さらに新しい発明も狂気や魔法のようであって元素を変質させていた。力に対する制限がなくなり、欲望にも制限がなくなりだしていた。空間と時間…  (それはあなたの思考の中で描かれて通り過ぎていくものでしかない!)… 速度に押し流されてそれらは消えてしまった。もはや重要なものでもなくなった。人間だってそうかもしれない。重要なことは他にあった。それは彼の知識への欲望だった。際限なく望む欲望だった!… マルクは、まだ現代科学の基礎知識を自分のものにはしていなかった。彼は母親が購読している科学雑誌を理解はできないものの、興味を持って読んでいた。何もまだ理解はできてはいないが、物心ついた頃からの慣習が、科学に奇跡を見出す恩恵を獲得してしていた。アネットの科学体験は学校教育の中で育まれたもので、マルクが体験していることは気づかなかった。彼女は生きた体験として科学を知らないまま、教室のボードに書かれる図形や数式の範囲で、科学を想像していた。だがマルクは違った。想像を超えるよう力をそこに想像していた。彼は理性で妨げられなかった。だからこそ彼独自のアルゴノートの帆を挙げていた。それは曖昧で漠然としたものだったかもしれないが、それだけに燃えるような熱情に囚われるのだった。そしてとてつもない偉業を思い描いていた。それは地球を左右にトンネルで貫くというものだった。さらにはモーターなしで空中に昇り、火星と地球を結び、ボタン一つでドイツ(あるいは他の国)を爆破するところまで発展していた。彼はそこで多くのことばを使っていた。ボルト、アンペア、ラジウム、キャブレター。まだ彼にとっては謎めいた言葉に過ぎな型けれど… 彼にとってそれは、アラビアンナイトの物語に重なるものでもあった。こんな彼が、世間の感情に起伏する少女に対して、同じ気持ちになれれないのは当然であり、それは自身を蔑ませないものでもでもあったのではないだろうか?

つづく

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