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しんすけの読書日記 『茗荷谷の猫』

ある生き方が、九つの短編で綴られている。

登場人物たちには、名誉欲もなければ金銭欲もない。

金なんて生きてくだけのものがあれば十分だし、名声なんて棺桶までも持っていけるもんじゃない。

それを世間のみんなが分かっていれば、戦争なんて起こるはずもない。
でも起っちまうのは、自分が観えない人間が多すぎるってことなんだろう。

でもこの本の話のすべては、名誉欲や金銭欲と無関係な世界として描かれている。だから美しくって涙まで誘うのだろう。

第一話: 染井の桜
染井吉野を作った男の物語。
この男、染井吉野を作り出したのに、儲けようともせず名も残そうとしない。
先だった妻に思いを馳せるだけの男の姿には泣かされる。
妻の慶は、男の仕事を邪魔はしなかったが、認めることもなかったように観えたのだが。

新婚時代は、染井霊園の近くに住んでいたためか他人事でないような気もしてしまった。

第二話: 黒焼道話
黒焼を滋養強壮剤でなく、飲めば人が幸せな気持ちを抱くようなものにしたい男がいた。
「そんなものを飲んでどうする?」
「・・・・・心を、落ち着けます」
「なんのために」
「いや、ですから・・・・・」

第三話: 茗荷谷の猫
茗荷谷に画を描く女がいる。亡くなった夫は役人だったらしい。
だが役所に通わず、浪曲師を志していたらしい。それは女にとっては不確かでしかない。
ある日。夫が乗った通勤電車が事故に遭った。それから夫との連絡は途絶える。
夫への記憶の変化が、女の画に何か変化を与えているような、そんな想像すらさせる。

第四話: 仲之町の大入道
旋盤工になるために東京に出てきた男が居た。
男が東京に不案内なのを良いことに、大家が東京に詳しくなれる仕事を手伝えと言う。それは借金取りとして街を歩く仕事だった。
そして市谷仲之町で先生と呼ばれる大入道のような男と出会う。
内田百閒らしい。借金してても苦にもせず平然と生き抜いた男だった。

第五話: 隠れる
一生遊んでいても暮らせるだけの金を相続した男の喜劇、いや悲劇的な話。
こういうのに限って周りが面倒をみようとする。
そして醜女しこめにも慕われる。
この男が買い取った家が、茗荷谷で画を描く女でないかと匂わせる。
女は死んでしまったのか。でも作者はそれについては何も触れない。

第六話: 庄助さん
時期は太平洋戦争前夜で、映画館の支配人とバイト学生との話。
映画館も統制が厳しくなっている。
そこに連日のように通う学生がいた。よほど映画好きなんだろう。
働きもせず映画に夢中だから、人は学生のことを庄助さんと呼んだ。
その庄助さんがある日問題を起こす。映写室に侵入しようとしたのだ。
支配人が事情を聞くと。庄助さんは将来映画を創る夢を持っているという。
庄助さんを支配人はバイトとして雇うことにする。そして庄助さんは支配人に映画の夢を語る。その中でかって電車事故を幸いにして失踪した自分を回想する。第三話の夫は死んでなかったのだ。だが妻は関東大震災で死んでしまっていた。
人生ってなんでこんなに行き違いが多いのだろう。
突然庄助さんが表れなくなるが、数日後表れて徴兵検査を受けていたことを明かす。今と違って連絡手段が少ない時代だ。
そして庄助さんは兵役に出立する。

第七話: ぽけっとの、深く
敗戦後の闇市時代。
俊男は東京大空襲の日は勤労学徒として埼玉にいた。空襲を知って俊男は歩きづめで生家の巣鴨に向かった。だがそこは焼け野原だった。
父母も妹も死んでしまったようだ。
今、俊男は靴磨きをして生活をしている。そして、健坊という少年から紙片を見せられる。そこには
「右は、染井吉野を作りし者 妻、慶証す」
とあった。第一話の妻の慶は、主人の為すことを十分に認めていたのだ。

第八話: てのひら
東京で夫と暮らす佳代子を訪ねて母が上京する。佳代子は母が老いて田舎者であること知り悲しくなる。
それは母と娘の切ない結びつきを奏でているにも見える。
それだけの話なのだが、第五話の後日談のような構成になっている。

第九話: スペインタイルの家
高度度成といわれた六〇年代。第七話の俊男は電気工として働いている。
スペインタイルが張られた家を通りかかった俊男は、年老いた男に呼びかけられる。男は買い物かごを持ち、そこには青ネギが観えていた。
男の家は俊男がかって電気工として働いたことがある家だった。その思い出が俊男を何度も、そこに誘っていたのだった。
老いた男の言葉は優しく聴こえる。だが読むものは、俊男がもうそこに誘われることがないことを知る。

読み終えて思ったものだ。
造物主は人間の欲望を、夢だけに限れば良かったのに。
余計なものを付けくわえてしまったから、戦争がなくならないのだろう。
そういえば、『イーリアス』に登場する神様たちは戦争ごっこが大好きだった。


今回も新たに、木内昇という作家の持つ奥行きの深さに驚かされた。今までも下記の作品などには唸らされるところ多い。

浮世女房洒落日記
漂砂のうたう
よこまち余話

それぞれが背景も事象も異なるが、見事に描き分けている。語り口に悲壮感が無いということだけは似ているが。

今、東京新聞に「かたばみ」と題して、連載小説も書いている。
これは1940年あたりから1950年代までの小学校教師の物語だが、よく調べて書いていることが分かる。ぼく自身が50年代の小学生だったから、それを実感する。
1967年生まれの木内昇では資料だけが頼りの世界のはず。

調査能力も素晴らしいが、取捨にも優れていると思わされる。
今後も木内昇の本は読み続けていくと思う。

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