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夏 第405回 『魅惑の魂』第2巻第3部第85回

 しかし、フィリップはもう急いでいなかった。たしかに彼は情熱的な男だが、それが形となる多くは恋情ではなかった。彼にとって重要なのは他こと(政治的思想やその闘い)による情熱だった。アネットが自分のことだけを、彼に考えてほしいと思うときでも、彼の心は、論争での葛藤に夢中になっていた。今の戦いから離脱しない限りは、結婚でのスキャンダルを招くことや、大げさな離婚訴訟を起こして恥をかくつもりはまったくなかった。彼も約束を守ることを決意はしていた。だがそれが実現するのはかなり先になるだろう! アネットも辛抱強く待つしかなかった! 彼女はいままでもかなり我慢はしていた! 彼もそうすべきでは、だが今の彼にとってアネットは、快楽の対象になっていた。この状況が長引くことを彼は喜んでいたのではないか。さらに彼はノエミにも同じ忍耐を強いることができることを、内心で自慢していた。彼はあまりにも自惚れ過ぎていた! この状況、ただ待つしかないこの時間、二人の女にとって、それがどれほど耐え難いものであるか、彼はそれを知ろうともしなかった…
 それは当然だろう!… アネットはそう思っていた。女がほんとうに愛するに相応しい男は、明確な自分の考えを持っている。そこには、科学、芸術、政治が存在し、それは男にとっては女を愛する以上のものとなる。何かとり憑かれているともいえる。それは自分を何にも無関心だと信じようとする素朴な利己主義なのだ! 考える中で具体化された利己主義は殺人的ともいえる。彼はどれだけのひとの心を壊したのだろうか!…

つづく

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