シモーヌ・ヴェイユ入門 ー しんすけの読書日記
シモーヌ・ヴェイユは偶像を捨てた巡礼者だったのかもしれない。
本書を読み終えて『ヨブ記』に親しんだであろうシモーヌの生き方が少しだけ分かるような気がした。
学生のころ「フランシーヌはあまりもお馬鹿さん」と歌われるのをよく耳にした。
今それがシモーヌに重なる。その頑なな生き方が身につまされるからだろう。
傍から観れば頑固すぎるかもしれない。
だが人間の誰しもに、譲れない生き方がある。
シモーヌは拒食症で亡くなった。
そのころのフランスには食を満足に得られない貧民が多くいた。それを思う気持が原因だったとも云われている。
食べ物を今あたえても、明日また空腹になるだろう。でも、できる限りあたえなければならない。
それは神の関知するところではない。わたしたち人間がなすべきことなのである。
ヴェイユは若い頃トロツキーに会ったことがあるらしい。そしてトロツキーはヴェイユに優れた政治意識があることを発見したようだ。
だがヴェイユは、トロツキーがスターリンを擁護することを悲しんだらしい。
スターリンがナチス以上の残虐性を顕すであろうことを気づいていたからだ。
だがトロツキーが自分を追放したスターリンを擁護したということはトロツキーの高貴な姿を想像させてくれる。
ヴェイユはその胸中に、死の十字架を育んだ殉教者だったに違いない。
人は死刑台を背負って歩いているのかもしれない。
ようやく『ヨブ記』が、少しだけは読めるようになった気がしてきた。
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