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夏 第196回 『魅惑の魂』第2巻第2部

 彼女はマルセルの手を避けることもなく、微笑んで彼を見つめていた。だが彼はその澄んだ眼を、見つめることができなかった。なぜならその眼が観ているのは、彼をはるかに超えたところにあったから。彼女が見ているのは自分自身だった。彼女は思っていた。
「理由をつけて話すことなんだろうか?… ただ話せばいいことなんだろう! でもどうして、それができないのかしら?… わたしは、彼のことが嫌いじゃない… 美男で、魅力的で、とても優秀で、知性に溢れて、話してるだけでも楽しくなる… だから彼と生活すれば、わたしかなり楽になるだろう!… でもわたしは、彼の生活の中で生きていけるような女じゃない。彼は人の気持を良くするものを、生まれたときから持っていて、彼自身も多くを好み喜ぶこともできる… でも彼は、人を敬ったり尊敬したりは、まったくしない人なんだ。男も、女も、恋も。アネットも…」(彼女自身に話しているが、彼女は自分を外から見ているのだった)「もちろん彼は吝嗇ではなく、繊細な配慮をしてくれるし、世間にたいしてもそれを惜しむこともない。だから、わたしのことも大切にして十分なことをしてくれるだろう。でも、彼は優れて懐疑論者でから、何かを真面目に考えるなんてないと思うけど? 彼は心底では人間というものを、まったく信じていなし、そうであることを楽しんでさえいる。彼は自己満足のために、陰謀めいた好奇心さえ抱き、人間の弱点に注目しさえするだろう。彼女を大切にすることが、自然な発露であるうちは良いのかもしれないけど、強いられたものとでも思い始めたら、失意さえ感じるのではないかしら… たしかに善い人だよ! 彼と一緒ならば生活は楽になるだろう… 楽になり過ぎて、わたし自身は生きる意味も解らなくなってしまうのでは…」彼女は言葉をもはや失い、考えることもできなくなっていた。だが考えることとは別に思考の動きは続いていた、決意のようなものが…

つづく

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